『 健康 』 とは
2010/03/03 21:20:33
"Health is a state of complete physical, mental and social
well-being and not merely the absence of disease or infirmity."
「完全な 肉体的、精神的 及び 社会的 福祉の状態であり、
単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」
(昭和26年官報掲載の訳)
平成10年、WHO憲章全体の見直しがあり、その時のWHO執行理事会で、「健康」の定義を
"Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and
not merely the absence of disease or infirmity."
「完全な 肉体的(physical)、精神的(mental)、霊的(Spiritual)及び 社会的(social)福祉の
活力がある(Dynamic)状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」
と改める議論がされ、最終投票の結果、賛成22、反対0、棄権8で総会の議題となりましたが、
平成11年5月、WHO総会で議論された結果、
「現行の憲章は適切に機能しており、本件のみ早急に審議する必要性が他の案件に比べ低い」
などの理由で、健康の定義の改正案、その他の憲章の改正案も審議しないまま、事務局長が
見直しを続けていくことに決定しました。
さぁ~て、いかがでしょう~?(゚ー゚)
多くの人は、「 健康 」って、「 身体が元気 」ということだと思ってませんか?
世間では、身体に良いもの、悪いものの情報があふれ、サプリメントやら運動やら・・・・。
『 肉体的(physical) 』な部分は、必要以上にアレコレしているように思います。
最近は、『 霊的(Spiritual) 』や『 精神的(mental) 』な部分にも注目が集まってますが
「 心と身体の繋がり 」という言葉は聞こえていても、それが「 健康 」という観念には
繋がってない人が多くみられます。
スピリチュアルで、メンタル部分を癒し~♪ って感じですよね。
そして「 社会的(social) 」に健康という考え方はされてないかと・・・・。
「 健康だから、社会で働ける 」って考えはありますけどねぇ。
そうじゃなくて、「 社会的に健全な生活 」です。
これら“ 全て ”が“ 完全 ”に 健全な状態 じゃなくても、「 健康 」であることは可能です。
例え、病気でも、精神的、社会的に より健全に近づくことで 人生を幸せに生きることは
出来るのです。
また、病気じゃなくても、精神的に健全とは言えない状態や 社会的活動が無い状態を
「 健康的 」とは呼びません。
これらの要素は、絡み合い、お互いに作用しあって、どれか1つだけを大切にしても
うまくいかないと思います。
心、身体、社会の1員として、このバランスを上手く取ることが大切なのでしょうね。
その指針の1つがQ.O.L.であり、Q.O.L.を高めるエネルギーになるのが
個々人の「 喜び 」や「 楽しみ 」、「 物ごとの良い捉えかた 」なのだと思っています。
自律神経と呼吸法
2010/02/06 20:33:12
発作自体が、鎮痛剤を使わない程度で 治まったことは、呼吸法の効果なのだろうか
と疑問が生まれ、その他の体調不良が 軽くなっていることは、どう関係しているのか
我が身で、呼吸法の効果を 試したくなったから。
私の持病の発作の痛みは、胃腸の動きが悪くなることに始まり ケイレンとなる。
胃腸の動きは、まさに自律神経の役目なわけで、これほど適したモニターは無いなぁ~と思った。
呼吸法をやめてから、約1か月。
最近、片頭痛、腰の疲れ、太ももの神経痛も感じ、胃腸の動きも悪いのが分かる。
だが残念なことに、このところ気圧の変化が著しく、気圧の変化は体調、特に持病に大きく作用する。
もし、呼吸法をやっていても 雪や台風などの気圧の変化に耐えうるかどうかは疑問。
・・・・・・・・でも、機能障害の症状も現れ始めているし、もう・・・・・少し辛いなぁ。
薬を使わないと 仕事に差し支えるようになってきたので、実験は、ここまでとしようか。
3月もまだ 雪や春一番など、気圧の変化が大きい季節でも有るし、呼吸法を続けて、
それらの時期にも 機能が上手く動いていくのか、自律神経が整うのか、そっちをみてみるか。
どんな療法でも、我が身、自分の痛みで試してみて、有効だと自分が思えないものは、
人に自信をもって 勧めることは出来ない性格なもんで。←
無意識に求める理想
2010/02/03 21:14:23
これらは、全部、単なる役割の名称。
それぞれの役割は、世間一般の常識によって作られた 形 が有ります。
でも、現実に居る家族は、「 見本 」でも「 手本 」でもありません。
頭では分かっていても、自分の親には「 親として 」を求め、
兄弟・姉妹には「 人として 」を求めてる。
場合によっては、自分の嫌なところを 相手に投影して 見たくもない部分を見せられ
勝手にイライラしてしまう。
「 自分は、あ~は ならない 」 「 自分とアイツは違う 」という感情があったら
何かを投影しているかもしれませんね。
「 ど~~して、あの人は! 」 「 それでも親か? 」という感情があったら、
理想を押し付けてるかも。
その人は、その人。 世間の常識は、現実とは違う理想。
感動物語に出てくる家族も 完璧だったわけではなく、
その人の良いところに焦点を当てているだけのこと。
完璧な人など、いないのだから。
もちろん自分も 理想的な兄弟・姉妹でもないし、理想的な親でもない。
間違えるし、失敗もするし、嫌な気持ちにもさせてしまう、どこにでもいる人間。
「 親になれば、親の気持ちが分かる。 」という言葉があります。
親になれば、親が子を想う気持ちが分かるという意味なのでしょうが、
その気持ちを広い意味で捉えてみました。
我が子を想い、懸命にやっているつもりでも、四六時中、油断なくなどということは無理。
そして、良かれと思ってしたことでも、我が子を傷つけることもある。
ついウッカリ、「 悪い言葉 」を言ってしまったこともある。
どうやっても、理想の親、見本、手本、とういわけには いかない。
だめな部分もあるけど、思う気持ちは本当。
コミュニケーション不足、伝え下手、疲れてる時、イライラしてた時、
様々な悪循環で、上手く行かない部分。
どうか、許して下さい・・・・これから先の傷にしないで下さいと切に祈る。
力や言葉の暴力、育児放棄や放置する親 もいますが、
大概の親は それぞれのベストを尽くしているんだろうなぁ。
24時間365日は、無理だけど、その人の出来る限りはやっているのでしょう。
親は許せないけど、我が子には、自分の至らなさを許してほしいなんて、勝手ですよねぇ。