名前 の 言霊
2009/07/28 06:30:10
自分の名前の 姓は、先祖からの 名は、親からの「言霊」らしい。
自分の名前は、自分で決められない。
名前には、自分の思いが入っていない「無我」なもの。
姓名判断に凝っていた友人が、名を変えようとした時、
誰が聞いても社会的不都合が生じていると思える場合以外、「名」の変更手続きは出来ません。
と役所に言われたそうです。
結婚相手を苗字で選ぶ人・・・居るかもしれないけど、聞いたことは無い。
確かに、「姓名」って不思議な物を感じます。
ここまでは、私も 抵抗が無い。
が、もう1歩進むと、「名前は、親の愛 の言霊」・・・・・・・・・
実は、私は、自分の名前が好きでは有りません。
特に漢字が。
生まれてくる前から、夫婦で、あれこれと話し合って、時には喧嘩したりして
姓名判断なんかも気にして、一生懸命、子供のことを考える。www
それが、私の抱く、「親の愛が詰まった、名づけの図」
私の名前は、どこかの偉い人にお金を払って付けて貰ったそうです。
彼らは、子供3人共に、そうやって名前を貰いました。
そして、やたらと難しい漢字やら旧字が使われてます。
日常は略字を使ってますが、試験の時など、これで1分は違う!とイライラしたものです。(笑)
「偉い人」・・・・・「お金」・・・・=私の親の愛の形。
確かに、このキーワードの中で、私は育ってきたように思います。
自分の誕生日、母親に「今日、誕生日なんだよ?」って言いに行くと
「あ、そうね、じゃ、はい。」とお金をくれた。
“産んでくれて有難う” “産まれてくれて有難う” どころか、“おめでとう”という言葉の記憶が無い。
強いて言えば、「小さい頃、如何に世話するのが、大変だったか」を人に話すくらいで。
私に思い出話として、話してくれるのでは無く、他人に苦労話をしているのを聞いただけ。
・・・・・・・・うん。大丈夫だ。www
こういう話を思い出しても、悲しくならないし、悲劇の主人公にはならないwww
以前は悲しくて、ムカついて、母親を責めたくて、良くない精神状態に陥ってました。
今は・・・・これが、あの人の愛の形。 私の理想とは、かけ離れているけれど、
あの人は、あの人なりに。 これが、あの人の精一杯。
そう、思えます。(^^)
でも、未だ、親に感謝とか、愛されてはいたんだ。とは思えませんけどねー。(笑)
それでも、少しは変化したんだなぁと自分を褒めてあげましょう~♪
蛇足ですが、家族も自分では、選べません。が!唯一、自分で選べる家族。
それは、結婚相手。
なのに、選んだ数年後、文句タラタラ・・・・って自分の選択に文句言ってるんだよなぁ。