信頼とか信じるとか
2010/11/06 21:55:37
それは、相手を信じて委ねる・・・という感じ。
多くの場合、「 信じる 」という言葉には、
「 きっと、上手くやってくれると 信じている 」
「 幸せになってくれると 信じている 」
「 本当のことを言ってくれると 信じている 」
など、「 こうなって欲しい 」という自分の望みが隠れています。
それは、自分にとって好ましい状態に 相手がしてくれること、成ってくれることを期待し、
信じている状態。
この場合、望んだ結果が与えられなかったら、「 信じていたのに 」が出てくる可能性大。
これは、「 信頼 」というより「 期待 」であり、ある種のコントロールともいえます。
だから、言われた人は、なんか分らないけど、重さを感じたり・・・。
もう1つの落とし穴は、相手の力、相手のことを考えるのを止めてしまう状態。
相手にとって、どうなるのが良い状態なのかを考えなくなる状態。
「 自分にとって良い状態 」で思考を止める。
相手にとって必要な良い状態であっても、自分にとって好ましくない状態になるのは誰でも嫌だから。
この時、相手より自分の望みを優先し、それは相手の本質への無関心となる。
これは詐欺やマルチに惑わされた人にも よく見られる状態。
「 信頼 」とは、
相手や結果が自分の思った通りにならなくても、「 それ も 良い 」と受け入れられること。
相手を信頼するって、自分にとっては不都合な状況であっても、相手にとってはベストと思えること。
相手が落ち込むような状態に陥っても、それは、その人に必要な状態であり
その人が乗り越えられる力を持っていると その人の能力を信頼する。
私達は、「 疑うより信じなさい 」と教えられてきました。
でも、その信じ方は教わってないような気がします。
自分の好みや都合に合った信じ方をするくらいなら、
好意をもって疑い、その人を少しでも多く理解しようとするのも悪くない。
自分の希望、相手の希望を把握したうえで、どんな状態になっても大丈夫。
どちらに何があっても、お互いに乗り越えられると思う“自分の思い”を 心から信じる。
その時に「 信頼 」って生まれるように思います。
「 信じてる 」「 信頼します 」って簡単に言えるけど、実際には難しい。
1つ出来ても、また「 じゃ~これは? 」「 このパターンだと? 」と
一生をかけて、様々な試しが訪れるのだろうなぁ・・・と感じます。
優しさの形
2010/10/23 20:31:53
「 人には優しくしたいのに 優しくできない 」
「 優しいって、どういうのか分らない 」
「 あの時、もっと優しくしていれば・・・・ 」
結構、こういうことを聞きます。
でもね、「 優しさ 」についてアレコレ考える人って、その時点で既に優しいのだと思います。
だって、そういう考えって、相手に対する気持を どう表すかを思考錯誤して生まれているわけですからねぇ。( ^-^ )
相手を少しでも気持ちよくしたくて、優しさを表したいって、十分優しいですよね。
たとえそれが、「 自分を良く見られたい 」「 優しい人だと思われたい 」
という気持からでも、良いと思います。
優しさの種を持ってない人って、居ないと思うから。
ただ、それがどんな風に育まれ、どの位の大きさで、どんな色で、どんな形かは違うだけ。
育てるキッカケは、家族からの愛でも、友人関係でも、愛するものへの思いでも
自分の評価を気にすることでも、良いのではないかな。
大切なのは、自分の中の「優しさの種」に気づいて、それを育もうとすること。
ただ1つ、忘れずにいたいのは、優しさの形は、人それぞれだということ。
だから、自分の優しさの色や形を相手が気に入ってくれたら良いけど、気に入らない場合もある。
だからといって、あなたが優しくないわけではない。
人は、自分の好みなら気に入るし、好みでなければ気に留めなかったり、相手を低く評価します。
それは、自然なこと。
相手の気に入る優しさを 表現しようと努力するのも優しさが鍛えられて良いかもしれないけれど、
自分なりの優しさを見失なっちゃったら本末転倒です。
「 どうしてあげたら良いのか、わからない・・・ 」って気持ちが出てきたら
自分なりの思いを見つめ直して、自分なりの優しさを表現すれば良いこと。
それを相手が気に入ってくれるかどうかで、優しいか優しくないかの判断をすると、自分で自分がわからなくなったり、嫌いになったりしますからご注意を。
嘘
2010/10/22 20:56:31
普段の生活の中でも、人は、自然に嘘をつくことは、いくらでもあります。
それは、自分を守るためであったり、相手との関係を壊さないためであったり。
詐欺などの犯罪は、別ですよ。
嘘も方便。
たとえ良い状態を保つための嘘でも、言われた方は嘘だと分ったら、多かれ少なかれショックを受けます。「 なんで、そんな嘘をついたのか 」
それを追究すると、たいがい「 本当のことを言ったら、怒るだろうから 」って感じかな。
なら、そんなことしなければ良いじゃないか!って更に怒る。
確かに相手が怒るようなことをしなければ、嘘をつかなくてすみます。
自分がどう評価されようが気にしなければ、嘘はつかないかもしれません。
嘘は、更なる嘘をもって正論にしなくてはならなくなり、雪だるま式に嘘をつき続けなければならなくなることもあります。
そして、ツジツマが合わなくなって、結局バレる。
嘘をつかれたと気づいた後、また直ぐに相手を信じるのは難しいかもしれません。
何を言われても、疑ってしまう・・・・・・
その気持ち、楽しいですか?持ち続けたいですか?
それとも、もう手放したいですか?
冷静に客観的に「 嘘 」を考える。
嘘を嘘だと気付かなかった状態を思い出すと「知らぬが仏」で居られたわけです。
嘘をつかないに超したことはないけど、相手を傷つけようと思って嘘をつくことは少ない。
ってことに 気づきませんか?
相手は、私を傷つけようと思ったわけではない。
相手は、私を裏切ってやろうと思ったわけでもない。
ただ、相手は相手なりに その場で最善と思ったこと、その時「そうしたい」と思ったことをやっただけ。
それが、私にとって、良いか悪いかは別として、相手にとってはそれがベストな選択だった。
嘘をついてでも、
相手は、私との関係を 良い状態に保ちたかった。
相手は、私にとって悪いことをしてしまったと分っているから傷つけたくなかった。
相手は、私に悪く思われたくなかった。
それが、私への思い。
こう思うのって、本当に難しいことだと思います。
でも、カっとなって、言わなくても良いことまで言って責めてしまう前に、ちょこっとこんな考えを思い出すと少し冷静になれるかもしれません。
修復が効かなくなるような 最悪の事態は、避けられるかもしれませんよ。