数多の命
2011/01/27 20:56:05
銀シャリも良く食します。
以前にもブログに書きました。→ 「命を食して・・・」
卵納豆ご飯も かなりの好物です!
お椀の中を 見つめてしまうこと、しばしばあります。
いっつも食べ物を見つめて、食しているわけでは無いのですよ(・_ .*)?
誰かとお食事をしている時は、ちゃんと相手を見ているし、話してます。
でもね、独りで家で食べている時って、1粒1粒を見つめてしまうのです。
百以上のお米の粒
数十個の大豆の粒
1つの鶏卵
そして葱
胚芽がないとはいえ、受精卵でないとはいえ、それぞれが成長するに十分な栄養が入っているわけで。その数と言ったら・・・・それを一食で、私が食べる。
食肉獣は、数匹で1匹の命を食すことが多く、数日に1度かもしれない。
草食動物は、葉だけを食べたりして、命そのものを絶やすほどは食さないと聞きます。
人間である私の食べ物は、ほとんど自然の物というより、人が人のために栽培したもの。
とは言え、一度に多くの動植物が生まれてくる機会を奪って食している。
これって、凄いことだなぁ・・といつも思います。
それだけの価値ある人生を生きているのかなぁ。などと考えながら
銀シャリだけ。 卵ご飯として。 納豆ご飯として。 ぜ~んぶ混ぜこぜして。
と4通りの味を楽しむので、ございます。(⌒¬⌒*)美味し・・・♪
米・大豆・葱・卵・・・これらを美味しく食べられるようにしてくれた 先人の試行錯誤に敬意を払いつつ、醤油なども使わせて頂く♪
自分で食べ物を 食べられなくなったら、人は死を迎える段階と考える地区が、確かアメリカのどこかにあったはず。
日本のように自分で食べられなくなっても、口まで運んであげたり、点滴で栄養補給をしたりはしないそうです。
自分で、美味しく食事が取れる。
この行為には、食材や多くの人の知恵もさることながら、私自身の身体の機能がまだまだ正常値だから出来ることでもあるわけです。
こんなこと考えながら食べてると 食べた気がしないって人もいるでしょうねぇ。( ^∇^ )
でも私は、こういう時間って、すごく心が豊かで温かくなるんですよ。
食べるものがあり、美味しく食べることが出来る。
今、生きてること、それが1番の奇跡だなぁ~・・・って。