脳で嗅ぐ
2011/01/09 16:25:44
仏壇・戒名・位牌に拘りは有りません。
こういった儀式は、どんな宗教においても遺族の心を慰めるためのものと思っています。
最近は、法要を行う人も 出席される親戚も減っているとお寺さんから聞きました。
高齢化と「やるのが当然」という慣習、「やらねば」という世間体が薄れてきているようですね。
私も実母とその親戚の為・・・という感じでの出席というか、姉のヘルプでした。
亡き人を思うのは、それこそトイレでもお風呂でも、布団の中でもいつでもどこでも出来るし、思えば通じるようにも感じます。
実際、今年も年明けから、しょっちゅう父を呼び出して(?)アレコレ話したり、頼んだり(笑)
線香の匂い・・・・実は弱いのです。
香り自体は好きなのですが、一度包まれると24時間約1週間は、ず~~~っと線香の匂いオンリーで、他の匂いどころか味も分らなくなります。
いくら嫌いじゃない香りでも、3~4日目あたりから、少々ウザくなってくる・・・。
父が亡くなる1か月前から、この現象が始まりました。
これは嗅覚の問題というより、脳の問題だそうで、特に検査などはしてませんが、
治る・・・・ってもんでもないらしいし。
メンタルな問題か、自律神経の問題か・・・・何か。
帰宅して、今も線香の香りに包まれております。♪←楽しいわけではない。
お香・蚊取り線香もダメです。
他の香りはどんなに強くても 引きずらないのになんででしょう?
どなたか、何か同じような話を聞いたことがある方は、メールでもコメントでも教えて下さいませ。
老齢に伴い、嗅覚が衰え、脳が正確な判断を出来ないような情報伝達になる。
「 なんか焦げ臭いんです。 」
という表現をされる方が多いのです。
「 焦げ臭い 」という感覚が「 線香の匂い 」に似ているから、嗅覚の機能不全。
はたまた老齢化では?と言われております。|||(-_-;)||||||どよ~ん
匂いは匂いで消す!
という方法も試してみましたが、一瞬は香るのですが、直ぐに線香の香りが勝利~!
・・・・・・・・・・ダメでした。
私の脳は、何を訴えたいのだろうか。
そんなことを考えて、またこれから1週間か・・・・・・。
ペルソナ(Persona)仮面
2011/01/08 20:27:39
夕食後、ホテルを抜け出して、コンシェルジュに聞いた評判の店へ。
ワインとピザを食べ放題のごとく食べた若かりし日・・・・・。
フェリーニ監督の「甘い生活」のようにトレビの泉にコインを投げ入れ、
ワイラー監督の「ローマの休日」のようにスペイン広場でジェラードアイスを食べ歩く~。
(現在は食べ歩き禁止らしい)
その傍の店で、エスプレッソを飲み、日本語ペラペラのおじさんに馬車に乗せてもらった。
そんな ん十年前の光景がアリアリと浮かんできた。
なんでだ?
走馬灯?
そろそろ終盤か?
そういえば、路地の坂道にあった小さな店で仮面を買った!
と思いだし、ひっぱり出してみた。
♪~♪ d(⌒o⌒)b ♪~♪
多少、汚れ?剥げ?はあるけど。
また飾ろうかしら。
仮面(ペルソナ)はユングでいうと
無意識下にある人間の外的側面。
お父さんとして、教師として、彼氏として
みたいな役割をまっとうしている自分。
社会や周囲に対しての言動。
人は様々な仮面を付けて役割を演じています。
悪いことでは無く自然なことなんです。
学生として、娘として、友人としてなど色々な自分が居て自然なんです。
なんで急にこんなことを思い出し、仮面を引っ張り出しているんだろう?
仮面・・・・チャットイベントの仮面パーティー♪
お~連鎖のごとく、記憶がフツフツと~~。*:゜☆ヽ(*’∀’*)/☆゜:。*。
なんなんだろうねぇ・・・・この脳内想い出炸裂状態・・・・。
そんな飲んでないし。
まぁ、こんな日があっても良いのだろうけど、共に語れる人が傍に居ないのはチト寂しいもんだ。
仮面かぁ・・・・なんかのサインかな。
イタリアの記憶は、仮面を出すための導火線?
・・・・・・・・・・・・・・・今は分んない。
そのうちに 「 あ~~~~~ 」って何かに気づくかも。
今日、こんなことが頭の中を駆け巡ったということだけ記録しておきましょ。
視えないのか、視てないのか。
2011/01/07 23:16:47
冷蔵庫を開けるとお豆腐に手を突いて、お尻をぴょんとつきだしている“小さなおじさん”が居た。
一旦閉めて、再度開けると、今度は逆側にやはりお豆腐に手をついてお尻をぴょんと突き出したポーズの小さなおじさんが・・・・
という話をテレビでしたのは、ずいぶん前。
小さなおじさんの目撃情報って結構ありますよね。
風貌は、小人とか妖精とは違って、ふつ~のおじさんだそうで。
クリスマスにも書きましたが、視えないからと言って、あり得ないとは言えない。
「この計算が解ける」ことは説明できるけれど、「解けない」ことは説明できないのと同じ。
「存在」を証明できるけど、「存在しない」ことを立証は出来ません。
今年、ブログにも妖精のシルエットを入れました。
見たことはありません。
でも、小さい頃、いえ小学生か中学生の頃まで、妖精の存在を信じたかった自分を覚えています。
別に霊感もないし、特別な何かがあるわけではありません。
経験は、入院中にその病室で亡くなった子供の霊とか、犬を連れた女性の気配、無き父のオチャメな仕業の叡智・・・くらいかな。
単に日々のレイキ修練とか、瞑想で、この世は、レイアー状態で、過去も未来も現在も、それぞれの次元もこの場に同時に存在していることを感じるようにはなった程度。
レイアー・・・・
フォトショや、画像処理などをパソ・ソフトで行なったことの在る人なら感覚的に分りますよね。
透明なシートに描かれた画像が、何重にも重なって、1つの風景、画像を造っている。
同時に存在はしているけど、その1枚だけ表示を消せば、それだけは全体の画像から消える。
そのレイアーに描かれた画像だけ視えなくなる。
でも、在る。
それが空間。
「 アカシック・レコード 」と呼ばれる宇宙の創生から全てが記録されている概念があります。
これを遥か彼方のどこかのように言われることがあるけど、私は、自分達の周りに在ると感じます。
自分自身もアカシックレコードの一カケラ(変換ミスで「人カケラ」って出たww言い得て妙)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・酒・・・入ってます・・・夕方から飲んでます・・・ずっと。
このようにブログが書ける程度に酔ってはいないのですが、アルコールが入るとこんな感じか、説教オヤジになります。
すみません・・・連休前で、飲んでしまった。
でもって、やめときゃいいのに、内容のない記事を書いてみたくなった。
これも、私。
ということで。