視えないのか、視てないのか。
2011/01/07 23:16:47
冷蔵庫を開けるとお豆腐に手を突いて、お尻をぴょんとつきだしている“小さなおじさん”が居た。
一旦閉めて、再度開けると、今度は逆側にやはりお豆腐に手をついてお尻をぴょんと突き出したポーズの小さなおじさんが・・・・
という話をテレビでしたのは、ずいぶん前。
小さなおじさんの目撃情報って結構ありますよね。
風貌は、小人とか妖精とは違って、ふつ~のおじさんだそうで。
クリスマスにも書きましたが、視えないからと言って、あり得ないとは言えない。
「この計算が解ける」ことは説明できるけれど、「解けない」ことは説明できないのと同じ。
「存在」を証明できるけど、「存在しない」ことを立証は出来ません。
今年、ブログにも妖精のシルエットを入れました。
見たことはありません。
でも、小さい頃、いえ小学生か中学生の頃まで、妖精の存在を信じたかった自分を覚えています。
別に霊感もないし、特別な何かがあるわけではありません。
経験は、入院中にその病室で亡くなった子供の霊とか、犬を連れた女性の気配、無き父のオチャメな仕業の叡智・・・くらいかな。
単に日々のレイキ修練とか、瞑想で、この世は、レイアー状態で、過去も未来も現在も、それぞれの次元もこの場に同時に存在していることを感じるようにはなった程度。
レイアー・・・・
フォトショや、画像処理などをパソ・ソフトで行なったことの在る人なら感覚的に分りますよね。
透明なシートに描かれた画像が、何重にも重なって、1つの風景、画像を造っている。
同時に存在はしているけど、その1枚だけ表示を消せば、それだけは全体の画像から消える。
そのレイアーに描かれた画像だけ視えなくなる。
でも、在る。
それが空間。
「 アカシック・レコード 」と呼ばれる宇宙の創生から全てが記録されている概念があります。
これを遥か彼方のどこかのように言われることがあるけど、私は、自分達の周りに在ると感じます。
自分自身もアカシックレコードの一カケラ(変換ミスで「人カケラ」って出たww言い得て妙)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・酒・・・入ってます・・・夕方から飲んでます・・・ずっと。
このようにブログが書ける程度に酔ってはいないのですが、アルコールが入るとこんな感じか、説教オヤジになります。
すみません・・・連休前で、飲んでしまった。
でもって、やめときゃいいのに、内容のない記事を書いてみたくなった。
これも、私。
ということで。