『 武田双雲の墨書七十二候 季節を伝えることば 』
2010/06/22 19:10:17
(朝日新書) 朝日新聞出版 (2010/4/13)
感謝の気持ち、謝罪の気持ち「季節」で表してみませんか。
自然とつきあう古人の知恵「七十二候」に双雲の筆が躍る。
1年を72に分けて時候の変化を表す、静かなブームの旧暦「七十二候」を
気鋭の書道家・武田双雲が躍動感あふれる書で表現した!
72点の書からは日本古来の季節感が香り立ち、
書に添えたエッセイも薀蓄あり、処世術ありで著者の感性が光る。
「桃始笑」(桃の花が咲き始める)では、「笑」と「咲」の漢字のルーツ、「雷乃収声」(雷が鳴り響かなくなる)では、怒ったときの対処法を説く。
書道と旧暦のエッセンスが詰まった一冊。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * 以上 amazon 商品説明 から * * * * *
四季を「春分の日」「夏至」など24に分けた『 二十四節気 』を更に72に分けた古代中国。
それを江戸時代の歴学者が日本の気候風土に合うようにしたのが『 七十二候 』だそうです。
・・・・・知らなかった。
例えば、「鷹乃学習」とか「菊花開」とかね。
72の書と短いエッセイの中から 2つだけご紹介。
「 腐草為蛍 」( くされたるくさ、ほたるとなる )6月11~15日ごろ。
「腐る」という言葉を聞いて、いいイメージを持つ人は少ないだろう。
確かに「腐」という感じを改めて見たら おどろおどろしい。
腐るということは、そもそもどういうことだろう。
分子レベルでみれば、単に結合と分解の違いであり、細菌レベルでみれば、大量の細菌が物質を食べてくれることで匂いを出しながら分解されているだけである。
腐るからこそ、循環が生まれるのだ。 新しい命に繋がるのだ。
僕の心が腐ったとしても 新しい自分に繋がるのだ。 そう願いたい。
「 綿柎開 」( わたのはなしべ、ひらく )8月23~27日ごろ。
誰かのせいにしたかった。 親のせい、学校のせい、社会のせい、時代のせい。
誰かのせいにすることで、自分が殻から抜け出せないでいることの責任から逃げていた。
殻の中に閉じこもっていれば楽だと思っていた。
しかし、現実は甘くない。 いつまでも晴れない。
晴れやかに生きたいと願った。
願っていたら、殻がピリピリと割れて開いた。
それからは誰のせいにもせず 自分の足で歩くしかなかった。
いいわけを言う余地もなく、ただ前に進しかなかった。
上手くいかないこと、思い通りにいかないことを 誰かのせいにしていれば
やらなくても、出来なくても、自分が悪いんじゃない、と言い訳できます。
私もしてましたねぇ・・・・・・。
それを やめると「やらねば」ならなくなる、「出来ない」と認めなくてはならない。
って思いこんでいたのかもしれない。
何よりも、誰かのせい、何かのせい にしていれば、楽だもんねぇ。(笑)
でも実際は、結局「 何も動かない 」ことに変わりなく、その状態を「 嫌だ 」と思ったら
自分が動くしかない。
そう決心すると、思っていたのと違って、楽になった。( ^-^ )
自分の人生は、自分で責任を持つ。
ってことだよね。
その転機となるのは、もう誰も何も恨まないという「 決意 」だったかな。
一旦、腐ったかもねぇ~私もwww 心も身体もね。(v^ー゚)
でも、この双雲さんの文章を読んで、そっか腐って良かったんだぁ。
あの時は、心も身体も辛かったけど、腐ったから今の自分が在るんだなぁ~。
と改めて思いました。