痛みに耐える意味
2010/01/09 21:47:29
しかも、事件や事故ではなく、いつもの突然の発作、治療の副作用、病気の症状。
いつ終わるか分らない起き上がることも できない痛み。
以前にも書きましたが、原因や治療法が分かっていない症状の方が、多いのです。
たくさんの検査をしても、異常なしとか、原因も分らず、当然治療法も分からない病気
これらを 不治の病というなら、多くの人が不治の病の不安に悩まされています。。
経験豊富な医者の勘で 出される薬が頼りで、症状が治まればラッキーですよね。
その症状が軽くても 重くても、日々のことでも、時々でも、「 これで治ります 」という
言葉を聞けないことが、どれほど果てしない苦しみや悲しみを生むか。
でも、思っているより、結構、特別では無いと思います。
本当に 多いのです。
その痛みの中で、多くの人が思うことは・・・・・こんな痛みに耐えるなら死んだ方がましだ。
私も何度も そう思いました。
死んだ方が楽だ。と。
死んだ方がまし、死んだ方が楽。 その裏には、「 生きている。 」「 生きたい。 」
という気持ちがシッカリと 存在していることを 学びました。
「 死にたい 」のではなく、「 痛い思いをして、生きているのは嫌 」
「 痛くないなら、苦しくないなら、死ななくても良い 」んですよねぇ・・・。
痛みから免れたくて、発作的に 「 死 」へ思いが動きます。
でも、苦しくなければ「 生きたい 」かどうかは別としても、「 死ぬ 必要 はなくなります 」
全てのことに 意味がある。
病気にも、痛みにも 意味がある。
私は、それを学んでいます。
それでも、自分が、いざ動けない痛みの中で、その意味をかみしめることは出来ません。
脳裏に浮かぶのは、痛みから逃れること、過去の経験から呼び起こされる恐怖。
強い薬も、効かなかったことを思いだし、今回も効かなかったらという不安。
それだけです。
水曜日からの不調が次第に発作へと変りましたが、
私は、今、無事に薬も効き、こうしてブログも書けてます。
でも今、この瞬間、世の中に発作、副作用、病気による症状で痛みに
全身の力を込めて、耐えている人が居る。
私はそれを 忘れないよう、時々痛みと戦って生きていくのだろうか。
それが、痛みに耐える意味なのだろうか。
なんで? と思うのは、間違っているのででしょうか?
自分は楽に生きたいという 甘えなのでしょうか。
・・・・・・これから、その辺りを深く 見ていこうと思っています。
カウンセラーになろうと思った頃、
「『会社は倒産です、もう死ぬしか無い。今日、ここで思い直せなかったら、帰りに死のうと思います』
という相談に あなたは何が出来ますか? そこまで考えてカウンセラーになろうとしてますか?」
という記事を読みました。
今も、この答えが自分なりに出るまで、やはりカウンセラーを職業とする気にはなりません。