「幸」という漢字
2010/04/17 22:40:35
「 幸 」という漢字の成り立ちを 聞きました。
漢字の成り立ちは、諸説あるそうですが、あくまでも、その内の1つですからね。
「 幸 」は、「 手かせ 」の形から出来ているそうです。
今でいうと、手錠ですね。
武田さんの説では、
昔の中国では、多くの人が理不尽な理由で、足切り、はりつけなどの残忍な処刑がされていた。
そんな中で、手かせをかけられる程度のことは、まだ幸せだ。
という意味合いでした。
武田さんは、続けます。
この「 幸 」というのは、「 不幸中の幸い 」を表している。
本当に幸せになれる人、幸せになる能力とというのは、不幸な中にも小さな幸せを見つけられること。
自分の名前に「幸」の字があったら、そういう能力のある子になって欲しいと。
先日、報道バラエティのコメンテーターの発言で、
「 高度成長期の日本は、東京オリンピックや万博など、世間には夢があふれていたから、
自分が子供のころは、夢がみれたけど、今は、世間では事件や暗いニュースばかりで
子供が夢を見れない時代だ。」というのを聞きました。
この方は、自分の子供時代には、夢や幸せを見つけることが出来たのに、大人になった今は、見つけられないのかもしれませんね。
日本でオリンピックが開催されなくても感動はありますし、日本が世界をリードしている分野もある。
昔の日本でも、歴史に残るショックな事故や事件、受験戦争もありました。
人は、不公平の種、不正、不幸な事件の原因などに注意が向きやすく 批判をしがちです。
なかには、部屋の温度、たばこを吸うか吸わないか、他人同士の仲たがいにも憤慨する。
政治や政治家に対する批判などは、その代表的なものですね。
自分の家庭内の人間関係が円満で、家計も無駄のない収支が良好な状態だから
国交や経済に 我が意見を!
ではなく、自分の家庭は棚の上どころか、自分の生活が上手くいかないのは国のせい、政治のせい。
会社のプロジェクトだったら、考えられない状況ですよね・・・・・。
実際の内部状況を把握せずに そのプロジェクト内容への批判って。
「 そうまで言うなら、やってみな 」って言われない安心感なんだろうけど。
これも、言論の自由であり、1つの課題を多角的に見ることは、勿論大切ですけど
無責任を盾に 言い放された批判と不安を煽るだけの文章達が公的に溢れると
「 他者の意見に順応 」 しやすいのも人間で。
批判の種をわざわざ探しだして、怒っている人に心理テストをしてみると
自分自身の問題に対する感情を抑圧し、否定し、周囲の荒さがしにすりかえている。
という結果が出たことがあると聞きました。
自分の内面を見ないようにする分、その自分の中の感情の放出を 周囲に転嫁させているのだそうです。
どんな時代にも 良いこと、悪いこと があり、どんな時代にも 幸せはある。
悪いことばかりに 目と耳を向け、そのことを深く探り考えることもせず
どこかの誰かの意見と 同じような批判を口にする、文字にする。
それを読んだ自分も他者も 更に 不平が募るばかり。
と書いている自分自身も 省みる。
このブログは、どうなんだろう。
批判発言ばかりのブログ、呟きを見ていると 公的な発言って 自由と共に責任もあるんだよね。
って、思う。
「 幸せ 」を集めたいのか「 不幸せ 」を集めたいのか。
社会を良くしたいなら、自国を良くしたいなら、自分や自分の家庭からじゃないかな。
この記事へのコメント
手械という不幸せの中にも幸があるというほかに
「手械をはめられること自体が幸せという面が人間の心理にはある」
自由すぎるのも不自由なものですよね。
なるほどねぇ・・・・
じゅんじゅんの感じたこととは、少し違うかもしれないけど、この言葉から私が感じたのは、
手カセをはめられたり、枠に入れられていることで、守られていることって結構ありますよね。
そして、守られることを 感じていて自分から その中に居続ける人も居る。
でも手カセ、枠決め の「 幸せ 」に気づいた人は、それを自分の武器・・・・
いえ「 力 」に変えることが出来ることかもしない。
自分の不幸を「手カセや枠」のせいにしなくなった人の強さ・・・・見習いたいです。(^-^ )
『 最終兵器彼女 』 で有名な“高橋しん”さんの『 いいひと。 』という作品が有ります。
その中で 女性プロジェクトリーダーのこんなセリフがありました。
この後、彼女はプロジェクトを成功させ、退社し、会社を設立するんですよねぇ。
私は今まで、仕事を与えられないことが不満で不満で・・・
いつも文句ばかり言ってた。
仕事をくれれば、私だって、女だって、男に負けない仕事ができるって・・・
けど、男女の枠が取り外されると・・・・
つまり、仕事を与えられ・・・
そして、仕事に男も女もない事を気付かされると・・・・
本当は、その「枠」に逆に守られていたんだって気付いた・・・
本当は、私は何の実力もない人間だって、思い知らされた・・・
「男」とか「女」とか「会社」とか、実体のないモノに責任を押し付けて、
自分では何もしてなかったこと・・・・ばれちゃった・・・・くやしいよお・・・