不快に蓋をして、新しい何かを探すということ。
2010/09/14 19:34:16
「 哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン 」が出版されました。
彼は、狼を飼い、その狼と過ごした日々の中で気づいた「人間」について書いています。
その中に学生から取った「あなたにとって一番の幸せは何ですか」というアンケート調査があります。
その結果について、マークローランズは、
これは、行為そのものが幸せなのではなく、行為をする時の感情が幸せなのだ。
絶えず、人間は、幸せを「 無いもの 」として見つめ、そして新しい目標を探すことが幸せになる道だと信じている。 目標とは、新しい異性、車、家、人生、職業などで、中毒患者が新しい薬物を求めるのと同じではないか。 人類の明確な特徴は、感情を崇拝する点である。
今とらえようとしている不快の緊張に耐えている時、その存在の在り方に集中している時、彼は幸せなのだ。 不快に集中していれば、それこそが、人生の貴重な瞬間なのだ。
と論じます。
十年位前、私は友人と、「昔の思い出って、嫌なことばっかり思い出しちゃうよね~」という話で盛り上がったことがありました。
そして最近、その日にあった出来ごとを 寝る前に思い返すということをしていて、良いことより、嫌なことの方が強く甦ることを認識しました。
多くの人は、今日一日や過去の出来事の中で、良いことより不快なことのほうを思い出しやすいです。
これは、自然なことと受け止めて、なぜ私たちの心は、そうしているのかに目を向けてみると分ることがあります。
不快に感じた出来ごとをそのままにしておくとずっと不快で、ふたをしたい。
でも出来ない。 ふたをしたつもりでも、湧きあがってくる感情。
なぜなら、その中にこそ、自分の成長に必要な「 何か 」があるのだから。
「 さあ、見なさい! ほれ、向き合いなさい! 」とばかりに甦るww
不快に集中して、自分は何をどう捉えて不快に感じたのか、別の見方はないのだろうか。
自問自答していく。
出来れば、文字に書いて。
怒り、悲しみ、恥ずかしさを感じている自分を 最も大切な友人として私自身が話を聞いてあげる。
そして、違う見方、相手の立場に立つ見方を提案してあげる。
勿論、否定ではなく、自分に思いやりと愛を持ってね。
出来事の意味を知ることの大切さを感じ、小さな一歩を踏み出せる。
そう私は思います。
手に入れた出来ごとの中に「 不快 」を感じ、見ない・無かったものにしようと
視線を新しい「 何か 」に移し、「 別の幸せ 」を求める。
これが、麻薬と同じだということなのかもしれません。
不快感を冷静に感じ続けると、一時は高まりますが、正常な心理状態の人なら、次第に薄れていきます。 メッチャ落ち込んでる時に、独りでやらない方がいいですよー。
何度もフツフツと湧きあがる「 不快 」。
もう~こんなことに囚われていたくない! と思ったら、お試しあれ。
上手くできない、やるのは不安、どうやっていいか分らないという人は、
プロのカウンセラーに頼ってみるのも良いと思います。