遠い過去の話で泣く理由
2010/07/16 21:55:28
それとも、淡々と思い出を話しますか?
もしくは、笑顔で話せますか?
本日、数十年前の体験を話しながら 目を赤くし、少しうるませている方がいました。
単純に推測すると その出来ごとを過去に出来ていない状態。
過去の悲しい思いに まだ捉われていて、その出来ごとの意味を肯定出来切れていない。
ということになるのかもしれませんが、果たしてそれだけなのかなぁ・・・と。
例えば、聞いている人へのパフォーマンスとして、自己感情移入を強めている。
感受性が豊かで、客観的に過去の自分に 同情している。
など、意図的な場合や、パーソナリティによるものもあるのかもしれない。
私の場合、・・・・・泣かなくなるなぁ・・・・。
勿論、泣くことも出来ないほど辛いこと、泣くほど辛いことを 意味あるものとして
過去のあるべき場所に納めるまでには、時間がかかります。
でも、その出来ごとの基の信念を日常的に変える作業を続けることによって楽になるのです。
ただ、この続けるという作業は、言うほど簡単ではなく、その途中で幾度となくメゲそうになる。
こんなことは無駄だ。という思考が何度も出てくるたびに
今はそう思えなくても、変わる力は備わっている。今はその過程にいる。
という思考を支えに 続けると次第に和らいでいき、気づくと変化している。
時には、いつ、なんで楽になれたのかを 忘れてしまう。
ま、忘れないようにブログを書いているようなモンですけど、それでも何がもっとも有効だったのか、後で分らなくなってしまうことも多々・・・・・。
さて、過去の辛い経験を どんな風に語るのか。
感情が出るということは過去にできてないのか、それともパーソナリティによるのか、
脳の構造を考えた 地道な書き変え作業というものは 大きな効力をなすのか。
地道な書き換え作業と 一瞬にして視野が開けた場合、脳内や無意識はどう違うのか。
それとも同じ効果を示しているのか。
調べてみたくなった一日でした。