- 2024/05/19 [PR]
- 2011/02/01 時を操る
- 2011/01/30 「お仕事はなんですか?」
- 2011/01/25 視力検査を 嫌がる理由
時を操る
2011/02/01 23:24:31
それだけ、年の初めの3カ月は早く感じ、あっと言う間に春が来るということなのでしょうね。
2月・・・・・受験シーズン到来、そして個人事業主には、青色申告到来・・・・。
やんなきゃ・・・|||(-_-;)||||||どよ~ん
毎年、同じことを繰り返しては、今年こそ帳簿をちゃんとつけよう!と誓うだけの私です。
以前読んだ何かの記事で、「 時を操る方法 」というのがありました。
そんなに昔じゃないけど、もう~何に掲載されていたのか、忘れました。
そんなモンです。私の記憶メモリー容量は・・・・。
楽しい時間は、短く感じる。
ツマラナイ、辛い時間は長く感じる。
これ、自然。
ならば、楽しい時間は意識して1瞬1瞬を過ごす。
例えば、相手の表情を 記憶に刻むほどちゃんと見るとか、相手の言うことを最後までちゃんと聞いて、考えてゆっくりと話すとか。
辛い時間は、その中に楽しいことを見出す。← 良く言われるパターンですなぁ。
とまぁ~そんな感じだったかと。
・・・・・・・違ったかな・・・・詳しく覚えている人が居たら、教えて下さいませ。
いずれにしても、私は、楽しい時間は早く過ぎても良いと思うのです。
そして、辛い時間は長く感じるのも 必要だからじゃないかなって。
楽しいことは、なるべく増やし、嫌なことは、集中して早く終わらせる!とかを心がけるのも良いと思う。
でも、
「 あ、今、楽しい♪ 」 「 あ・・・・今、嫌かも・・・・ 」
それをちゃんと意識して、それぞれの早さも感じてみる。
嫌なことの中に 楽しみを見つけられたら素敵だけど、出来なくても良い。
どっちも自分に必要な時間で、必要な早さで感じている。
そんな風に捉えると どっちも大事な気がしてくるんです。
「 時 」とは、人間が決めた 幻である。
って、誰かの言葉を思い出します。
「お仕事はなんですか?」
2011/01/30 19:32:34
ちょっと名の知れた会社に勤めていると、会社名を答えるそうです。
そうでなくても、「建設業です」とか、「IT関連です」とか?
確かに私も説明がめんどう(←根っからのメンドくさがり)だと「医療関係です」とか答えてますねぇ。
「仕事は何ですか?」
これに対し、自分は、こういう仕事のプロです。
と答える人は少ないようです。
例えば私だと、「医療事務全般です。」←こう答えることもありますけどね。
会社名、業界名を答える。
これって、私と同じように面倒だからかな~。
それとも?
*自分の仕事に価値を感じていない。
*やっている仕事の内容はどうでも良いけど、会社名は誇り。
*世間的に軽く見られそうな仕事内容だから。
などなど、いろんな気持ちが現れている答え方だと思います。
そして、天職を探し始める・・・・かも。
これぞ天職!と転職して、その後の人生を貫ければ良いですね。(^^)
世の中は、変化します。
仕事内容も変化させて当たり前だと思います。
それは転職かもしれないけど、今の仕事を創意工夫、場合によっては小さな改革とか(笑)
そんな仕事の仕方をしていると、仕事の業種や会社名じゃなくて、自分はそこで何をしてきたのかを
誇れるようになるんじゃないかな。
有名企業の合同説明会に行けても、会社説明会への事前案内が貰えるかどうか。
ハッキリ言って、出身大学によるというは事実のようです。
会社説明会へは定員締め切りで、面接さえ受けられない。と昨年の就活経験者に聞きました。
そんな苦労をしてまで、入った有名企業でも、入ってしまえば「こんなはずではなかった」とすぐに辞めてしまう人もいる。
「お仕事は何ですか」と聞かれて、企業名しか答えられない人もいる。
何かが、どこからか、おかしくなっているような気がします。
「 夜中でも安全に買い物をして頂けるよう夜のコンビニ業務をしてます。 」
「 数年前に出産し、今は、一人の人間育てるのに懸命です。 」
「 会社の仲間がスムーズに業務できるよう総務をしてます。 」
「 活きている。 」と答えられるような人が、一人でも増えるといいなぁ。
視力検査を 嫌がる理由
2011/01/25 21:03:20
その理由は・・・・・字が読めないから。
なんとも、切ない気持になりました。
日本の識字率は現在99%とも言われるほど高いですよね。
これは義務教育の賜物とも言えるかもしれません。
義務教育は、1871年(明治4年)に始まったようですが、実際には限られた人しか通えなかったようです。途中、戦争もあったし、子どもを学校へ通わせるのは義務です!と言われても家業を手伝わせなければ、食べていけないという状態もあったのでしょう。
現在のような、多くの子が学校で文字を習うのが当たり前になったのは、1947年辺りからとか・・・。
その当時の方々は現在70歳前後・・かな。
80歳代、90歳代の方々に読み書きが得意ではない人達が居てもおかしくはないのでしょう。
この話を聞いて、私も以前に聞いた話を思い出しました。
毎日、新聞を読んでいるおばあちゃん。
「おばあちゃんは、毎日新聞読んでるから、色んなこと知ってるんだよね。」
と言う孫に、おばあちゃんはこう答えたそうです。
「ばあちゃんねぇ、字が読めんとよ。
だから毎日新聞見てたら、少しは読めるようになるかもしれんでしょ。」
もう1つ、こんな話も
ご自分が小学校へ入った時、おばあちゃんに
「学校で習ってきたこと、おばあちゃんに教えてくれるかぃ?
おばあちゃんは、字の読み書きがあまり出来ないんだよ。
◎◎ちゃんが、おばぁちゃんの先生になって、教えてくれんかな~?」
その方は、小学校2年生ごろまで、毎日お夕飯の前におばあちゃんに その日習った国語や算数の教科書を見せて、話しをしていたそうです。
現代では、重篤な病気、障害や軟禁とも言える家庭内暴力などでない限り、小中学校へ通えます。
私も病気で小学校1~2年まで、ほとんど学校へは 行っていません。
有り難く思いましょう。 とは言わないし、 もっとこの学力を活かしましょう とも思いません。
ただ・・・・・・・
「 大学くらい行っておけば良かった 」などとは言わない人生を送ってほしい。
勉強は何歳になっても出来ます。
大学へは 何歳になっても行けます。
「 行きたくても 行けない人だっているんだ! 」な~んてことも言いません。
でもね。
出来るのに、行けるのに、やろうとしないだけなのに そんなこと言う大人ってカッコ悪いと思います。
勉強するの嫌、行かない、行きたいとは思わない、自分には必要ない。
だから義務教育以上の進学はしないことを 自分で決めた。
自信を持って、そう言えたらよいような気がします。
その後、本当に行きたいと思えば、赤ン坊が寝た後、コツコツと何年かかっても、子どもが手を離れた時、受験することも出来る。
子どもと共に 小学校・中学校の勉強を進め、我が子と一緒に受験するのも可能。
仕事の行き帰り、飲みに行かずに勉強することも出来る。
英会話や資格試験の勉強している人、最近は自習室というレンタルスペースも在る。
50歳過ぎて東大を受験したり、合格する人も珍しくない中、「もっと勉強しておけば・・・」と聞くと、なんとなく悲しい気持ちになります。