ゴットホルト・エフライム・レッシング
2010/03/22 21:00:53
真理を見出すために どれだけ真摯な努力をしてきたかが、
その人の価値 を決める。
なぜなら、
手に入れたものではなく、真理の探求によって、人間の力は増し、
真理の追究の中にのみ、人としての完成度の絶えざる向上があるからである。
ドイツの啓蒙主義者、詩人であり、劇作家、批評家、思想家でもあります。
思春期あたりから、人は、「 自分は何故 生きているんだろう。 」など真理の追究を始めます。
「 何の為に 」 「 生まれてきた理由 」 「 存在理由 」 「 生まれてきて良かったのか 」と。
最近は、「 これが真理です。 今まであなたは騙されて来たんです。 」
的な論説も ネットや書籍で見かけます。
紫藤は、それらを1つ1つきちんと読んでいるわけでは無いから、絶対ではありませんが、
おそらく「 愛 」 と 「 自分 」、そして「 宇宙の摂理 」とか「 自然 」とかに行きつくのかな。
いずれにしても、他思想を否定することの中に「 愛 」は、存在しているのでしょうか。
私も色々な学びを続け、同じように学びをしている人達を見ていて 思うのです。
真理は1つかもしれないけど、そこまでの道のりは、本当に人それぞれで、そこに大きな意味がある。
たとえその経過が似てても、時期や流れ、そのポイントが人の数だけあるなぁ・・って。
そして、生きている途中に 「 真理 」を明確に理解した人って 本当に居るんだろうか。
少なくとも、ポンっと教えて貰って、迷いも悩みも無くなったとしたら、逆に危ない気がします。
「 我思う、ゆえに 我あり 」 (デカルト)
この世において、自分の存在、問題を思うめぐらす。それが、自分の存在を証明する。
他者の理解した真理ではなく、自分自身の真理を・・・・・ね。