「 救助ゲーム 」
2011/03/02 18:56:39
“ 救助者 ”「 あなたは無力でどうすることもできないから、助けてあげましょう。」
“ 迫害者 ”「 あなたが無力でどうすることもできなのは、あなたの責任だよ。 」
救助者と迫害者の役割は、切り替えながら演じられることもある。
始まりは・・・・・
「 痛い・・・・力が出ない・・・・動けない・・・・ 」
などという自分の外からの何かによる 犠牲者としての訴え。
↓
“ 救助者 ”は、犠牲者のために何かをしてあげ、
犠牲者が自身の世話をすることを妨げる。という形で、助けようとする。
・自分で出来るにもかかわらず、モノや事を与える。
・絶え間なく助言を与える。その多くは拒絶されているので、更に何度も助言する。
・相手の要求を尋ねもせず、推測してするため、相手の不愉快なことでもしようとする。
この「 救助ゲーム 」はよくあるパターン。
“ 救助者 ”という役割を演じる人は、相手を愛し、世話をしているように見えますが、実際は身体的・精神的に無力になるのを手助けしてしまう。
自分の欲求とは違う救助を受け続ける“ 犠牲者 ”は、時に操られているように感じ、時に望んでいない救助に対して、暗に感謝を強いられていると感じ、いらだち始める。
“ 救助者 ”は、相手のニーズに応えてきたと考えているので、苛立つ“ 犠牲者 ”に腹をたてる。
「 こんなにやってあげているのに! 」 「 なんで、わかってくれないの? 」
更には、腹をたてたことに罪悪感を感じたり、そんな自分が嫌になったり、自分はなにも出来ないと無力感にとらわれてしまう。
いつの間にか、“ 救助者 ”は、“ 迫害者 ”となったり、
“ 救助者 ”自身も“ 犠牲者 ”になっていく。
このゲームに陥ってしまうと 誰のためにもならず、かえって関係も悪くなるばかりか、それぞれの孤独感を増してしまう。
私達の生活の中で、よく見られるパターンですが、こうならない為に何に気づけば良いのか。
パターンを知り、気づくことで、このゲームをしないですむポイントが分ります。
始まりは、甘えたい・安らぎたい・寄り添いたいといった、
相手に対する好感や安心感の表れだったかもしれない。
それに対して、受け止めたい・出来ることを手伝いたいという
相手に対する思いやりだったかもしれない。
いずれにしても、そこには「 好意 」があったはずなのに結果は好ましい形にならない。
いつの間にか、お互いがストレスを抱え、ストレスを与えあってしまう。
そんなことにならない為のポイントを ちゃんと心に留めてサポートする。
それが、支え合うという形。
それは、『 救助 』ではなく、『 援助 』という姿勢。