心配・不安・望み通りに
2011/03/04 17:01:17
話を聞いて、力になれることなら「協力」することもあるでしょう。
ちょっとした助けあいは、素敵な行為ですよね。
大きな困難、苦痛のまっただ中に居ると知った時、目の前で泣かれた時、だれしもが、「 なんとかしてあげたい 」と思うのではないでしょうか。
それが自分の好きな人、大切な人ならなおさらのこと。
ちょっとした助けあい・・・たとえば、一緒に探してあげるとか、道を教えてあげるとかとは、全然違う心の揺れを感じることでしょう。
苦痛を訴えて泣くという以外にも、自分からみて、「 このままでは、ダメだ。 」
「 そんなことじゃ、この先やばいだろ~ 」と思える時、今!なんとか気づかせてあげたい。
そんな感情が湧きあがることもあるかもしれません。
これらの気持ちって、なぜ湧きあがるのでしょう。
その時々、その人によって、多少の違いはありますが、多くの場合、
「 自分の 好ましい 状況ではない から この状況を 改善したい 」
という感情があるのではないでしょうか。
それが、自分のことでなくても、見聞きしたくないという感情。
分りやすく言うと「 自分の好きな人は、いつも笑顔でいて欲しい 」。
光と闇、寒さと温かさ、苦しみと喜び、マイナスと思える事柄が全くなかったら、プラスは感じない。
それは理解できても、何とかしてマイナスを排除して、プラスだけにしたいと望んでしまう。
多くの人が持つ、自然な感情だと思います。
なぜ「 マイナス 」だと感じているのでしょう。
「 ことがら 」自体に善悪はありません。 善悪とは、ヒトが作る観念。
ヒトの社会にしか善悪は有りません。
そして、それを体験するその人によって、感じ方は違います。
自分はマイナスと感じていても、当の本人は、特に感じていないかもしれない。
マイナスと感じる気もちを表現すると 「 心配 」。
何が心配? 「 良い結果にならない。 間違っているから。 」
良い結果・正しいことって何? 「 笑顔になれる望み通りの結果 」
望み通りにならなかったら、どうなる? 「 悲しい、不幸、辛い 」
必ずそうなる? 「 必ずじゃないけど、可能性は高いと思うし、不安 」
以上は、1つのパターンですので、その人によって、多少違っては来ると思います。
誰かを心配する。 何かを心配する。
この心配は、望みどおりの結果を得られないかもしれないという未来への不安。
「 このままでは、悪いことが起こるのではないか。 」みたいな・・・・。
人の力になりたい。 助けたい。
そう思った時、なぜ、自分はその人に対して、そう思うのかを 一呼吸分だけでも冷静に見つめてみると、先走りでポイントのずれたサポートをしないで済むことが出来るのではないかな。