夢と希望
2010/11/16 20:07:51
そう聞かれて、まるで夢を持っていないといけないかのように感じる人が少なくないらしい。
同じように「 使命 」「 天職 」果ては「 生きている意味 」。
十代半ばの方から「 私は夢とか使命とか持っていないんです。 」というようなメールを頂いたことがあります。「 自分の存在意義が見いだせない 」という高校生も居ました。
最近では、「 夢を叶える 」とか「 これが私の使命だと気付いた 」
「 天職に就く 」などの言葉がネット上でも多く見受けられます。
これらの言葉によって、日々が有意義に過ごせるようになったなら、それで良いと思います。
でも、それらのことを意識するが故に 自分を過小評価しないようにしましょうね。
夢は、探すものでも、持つべきものでもない。 と思います。
夢は、その時々の自分の中に湧きでてくるもので、無い時期があっても自然です。
それは、常に恋していなければならない! というワケではないのと同じ感じかな。
無理に恋して、「持ちたくて」持っても すぐに覚めます。
確かに夢を持って、意識して過ごすことによって、日々の行動が変わることがあり、
充実感も味わえるでしょう。
それも とても素晴らしいことだと思います。
但し、 そ れ 「 も 」 です。
そうじゃなくても、素晴らしい日々は送れると思うのです。
場合によっては、「 夢 」はいつしか「 叶えたいこと 」となり「 どう~しても! 」から
「 執着 」へと繋がる。
すると「 やっぱり自分はダメだ 」「 出来ない 」「 上手くいかない 」など 自己否定的
苦しみが生まれてきます。
人間は、自分の使命を認識し、夢を持って、天職に就いてなくても生きていけます。
それらのことは、後から・・・必要な時々に・・・様々な形に変化しながら
流動的に浮かんでは消え、また形を変えて浮かぶ。
若い時に浮かばなくても、日々のやるべきことをやっている中で40代、50歳代で浮かぶこともある。
それで良いのだと思います。
大切なのは、
夢でも使命感でも天職探しでもなく、未来に漠然とでも「 希望 」を感じていられるかどうか。
肉体的希望でも、個人的希望でもなく、思う通りにはいっていないようなこの世の中に
自分の日々の中で 「 希望 」を持ち続けることが出来るかどうか。
言葉で説明する必要もない、「 希望 」を感じる力を育むこと。
それが、生きている意味ではないかな。
既に持っているモノ、起こったコト の中にその 種 は潜んでいます。
それが素敵なモノでも、好ましいコトでなくても、ちゃんと 希望 は潜んでいるんですよねぇ。