試される のは、乗り越えられるから
2011/01/15 18:12:15
今日、就職試験や面接を受ける人も少なくないでしょう。
こういった少しでも平静にいつも通りで居たい日の前日や直前に 非日常的でないことが起こらないとは限らない。
痴漢に服を汚される、変質者に衣服を切られる、事故に遭遇する、腫瘍が見つかる。
その瞬間、嫌な気分になるのは当然のこと。
その気分を引きずってしまうか、「それはそれ」で気を取り直して平常心に戻れるか。
そんな時にもちゃんと起こっている「 良いこと 」を見つけ出せるのか。
試しの門・・・これこそ人生のテストで、社会的なテストより生きていく上で重要なのかもしれない。
何が悪かったのか、誰が悪かったのか、考えているより、
今、生きていて、動ける ということに着眼すると
大事には至っていないのは、人として精神的に試されているとも思えます。
その人に乗り越えられない問題は、起こらない。
と言われています。
私達は、世界のどこかで起こっている戦争の恐怖で 夜眠れないこともないでしょう。
飢餓に苦しみ死んでいく人達が居ることを 知っていても食べ物を残す。
でも、パートナーの浮気が気になって眠れない人も居れば、何かが心配で心配で、食べ物がのどを通らない人もいます。
どっちが大変で、どっちが軽いという比較はできないでしょうね。
その人の中で、今一番辛いことが、世界の何よりも大変な悩みなんじゃないかな。
「問題」は、その人が受け止められる、乗り越えられるだけの大きさでやってきます。
その人のためだけの その人に必要な問題。
手に余る問題は、知っている、聞いたことあるというレベルで通り過ぎていきます。
前にも経験した事柄かもしれないし、生まれて初めての経験かもしれない。
いずれにしても、「乗り越えられるから、自分の問題として自分が意識したことなんだ。」
まずは、こう受け止めることが大切かもしれません。
なんで、こんな大事な日の前に こんなことが起こるんだ!
と不幸な自分に浸ったり、他者を恨んでいると 元の道に戻るのが遅くなる。
自分が受け止めたこの問題は、自分に何を確認してきているのか。
「 本当に大丈夫? 」 「 いつも言っていることは、本当に自分に浸透してる? 」
自分に問いかけてみると 自分の中にある答えに気づける。
たとえどんなに 心や体が痛くても、今、この瞬間、生きていて、動ける。
それは、「 だいじょうぶ、乗り越えられるよ。」
というサインなんだろうなぁ。
などと線香の香りに包まれ続けて7日目・・・幻臭なのに煙くて目までショボショボしている頭で、冷静に受け止めてみた。