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- 2011/01/08 ペルソナ(Persona)仮面
- 2011/01/07 視えないのか、視てないのか。
- 2010/12/26 雪の結晶
ペルソナ(Persona)仮面
2011/01/08 20:27:39
夕食後、ホテルを抜け出して、コンシェルジュに聞いた評判の店へ。
ワインとピザを食べ放題のごとく食べた若かりし日・・・・・。
フェリーニ監督の「甘い生活」のようにトレビの泉にコインを投げ入れ、
ワイラー監督の「ローマの休日」のようにスペイン広場でジェラードアイスを食べ歩く~。
(現在は食べ歩き禁止らしい)
その傍の店で、エスプレッソを飲み、日本語ペラペラのおじさんに馬車に乗せてもらった。
そんな ん十年前の光景がアリアリと浮かんできた。
なんでだ?
走馬灯?
そろそろ終盤か?
そういえば、路地の坂道にあった小さな店で仮面を買った!
と思いだし、ひっぱり出してみた。
♪~♪ d(⌒o⌒)b ♪~♪
多少、汚れ?剥げ?はあるけど。
また飾ろうかしら。
仮面(ペルソナ)はユングでいうと
無意識下にある人間の外的側面。
お父さんとして、教師として、彼氏として
みたいな役割をまっとうしている自分。
社会や周囲に対しての言動。
人は様々な仮面を付けて役割を演じています。
悪いことでは無く自然なことなんです。
学生として、娘として、友人としてなど色々な自分が居て自然なんです。
なんで急にこんなことを思い出し、仮面を引っ張り出しているんだろう?
仮面・・・・チャットイベントの仮面パーティー♪
お~連鎖のごとく、記憶がフツフツと~~。*:゜☆ヽ(*’∀’*)/☆゜:。*。
なんなんだろうねぇ・・・・この脳内想い出炸裂状態・・・・。
そんな飲んでないし。
まぁ、こんな日があっても良いのだろうけど、共に語れる人が傍に居ないのはチト寂しいもんだ。
仮面かぁ・・・・なんかのサインかな。
イタリアの記憶は、仮面を出すための導火線?
・・・・・・・・・・・・・・・今は分んない。
そのうちに 「 あ~~~~~ 」って何かに気づくかも。
今日、こんなことが頭の中を駆け巡ったということだけ記録しておきましょ。
視えないのか、視てないのか。
2011/01/07 23:16:47
冷蔵庫を開けるとお豆腐に手を突いて、お尻をぴょんとつきだしている“小さなおじさん”が居た。
一旦閉めて、再度開けると、今度は逆側にやはりお豆腐に手をついてお尻をぴょんと突き出したポーズの小さなおじさんが・・・・
という話をテレビでしたのは、ずいぶん前。
小さなおじさんの目撃情報って結構ありますよね。
風貌は、小人とか妖精とは違って、ふつ~のおじさんだそうで。
クリスマスにも書きましたが、視えないからと言って、あり得ないとは言えない。
「この計算が解ける」ことは説明できるけれど、「解けない」ことは説明できないのと同じ。
「存在」を証明できるけど、「存在しない」ことを立証は出来ません。
今年、ブログにも妖精のシルエットを入れました。
見たことはありません。
でも、小さい頃、いえ小学生か中学生の頃まで、妖精の存在を信じたかった自分を覚えています。
別に霊感もないし、特別な何かがあるわけではありません。
経験は、入院中にその病室で亡くなった子供の霊とか、犬を連れた女性の気配、無き父のオチャメな仕業の叡智・・・くらいかな。
単に日々のレイキ修練とか、瞑想で、この世は、レイアー状態で、過去も未来も現在も、それぞれの次元もこの場に同時に存在していることを感じるようにはなった程度。
レイアー・・・・
フォトショや、画像処理などをパソ・ソフトで行なったことの在る人なら感覚的に分りますよね。
透明なシートに描かれた画像が、何重にも重なって、1つの風景、画像を造っている。
同時に存在はしているけど、その1枚だけ表示を消せば、それだけは全体の画像から消える。
そのレイアーに描かれた画像だけ視えなくなる。
でも、在る。
それが空間。
「 アカシック・レコード 」と呼ばれる宇宙の創生から全てが記録されている概念があります。
これを遥か彼方のどこかのように言われることがあるけど、私は、自分達の周りに在ると感じます。
自分自身もアカシックレコードの一カケラ(変換ミスで「人カケラ」って出たww言い得て妙)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・酒・・・入ってます・・・夕方から飲んでます・・・ずっと。
このようにブログが書ける程度に酔ってはいないのですが、アルコールが入るとこんな感じか、説教オヤジになります。
すみません・・・連休前で、飲んでしまった。
でもって、やめときゃいいのに、内容のない記事を書いてみたくなった。
これも、私。
ということで。
雪の結晶
2010/12/26 19:26:24
各地では雪が降り始め、富士山も白化粧。
晴れていても、マイナス10度を記録する地域にお住まいの方々はダイアモンドダストをご覧になったことがあるでしょうか。
私は残念ながら、一度もありません。
降る雪は、いつくもの雪の結晶が重なってできていて、見るだけなら虫眼鏡でも結晶をみることが出来るとか。
雪の結晶は、6角形が多く、中には12角形もあるけど、なぜか8角形は絶対にないそうですね。
6の倍数・・・・3の倍数?
このことにも 自然界の摂理など、ちゃんと意味があることだと思います。
雪の結晶には、同じ形は無い。
と言われていますが、自然界のものは、みな全く同じものってないように思います。
植物も動物も 昆虫も人間も 石も海岸線も。
似たようなものなら あるだろうけど、自然が生み出すものは、全てが唯一無二。
先日、断捨離に関する質問で、
「 捨てちゃって後悔したら、また買えばいいんだよね。
誰かにもらったものでも、ヤバイ!と思ったら買えばなんとかなるよね。 」
というのがありました。
確かに人が作った本・アクセサリー・モノは、全く同じ形のものがあります。
でも、あの時、あの人がくれたモノではない。 ということを 自分が知っています。
目にみえる形は同じものでも、視えない部分で、違うもの。
そういった意味で、全てのモノは唯一無二なのかもしれません。
断捨離は、捨てることが大切なのではなく、なぜ今「 後悔したら 」と考えているのか、なぜ後で「 ヤバイ!と思うかも 」と感じているのか。
その気持ちと向き合い、処分することに 自分が納得していないなら、「 保留 」です。
自分も 相手も 物も 唯一無二の存在。
それを意識することは、それぞれを大切に思う気持ちに繋がるのかもしれません。
それぞれ、その存在には、意味がある。
「 意味 」は、分らなくても、知らなくても、ちゃ~んと在る。
そのことを信頼できる自分でありたいです。
雪の結晶・・・・それぞれに 美しいなぁ・・・。