与えられた知識 と 求めた知識
2010/03/10 18:50:32
1、2、3・・・・と数え方を教えるというのがありますよね。
昔、むか~し、2~3歳の男の子が、そんなビデオを じ~~~っと見てました。
たくさんの亀がひっくり返ってジタバタしている画面。
まずは「1、2、3・・・」と数える音声に合わせて、亀がクルっ、クルっと もとに戻る。






「 では、テレビの前のお友達も いっしょに数えてね♪ 」みたいなことを言われて、
その男の子は、カメがひっくり返るのに合わせて、元気よく!
「 カメしゃん! カメしゃん! カメしゃん! カメしゃん! カメしゃん! ・・・・」
その子の母・・・・・・・絶句。
その現場を目撃していた紫藤・・・・・・間違って・・・は・・・無い。 確かに全部カメだ。( ;一一)
カメの画像を見せられて、「 カメ 」とは呼ばず、1、2、3という名称で呼べと言われても
彼にはピンと来なかったのでしょう。
だって、みんな「 カメ 」だもんねぇ~♪~♪ d(⌒o⌒)b ♪~♪
その後、「 カメさん、いっぱい居たねぇ~何匹くらいいたのかな~?数えてみよっか? 」
とか何とか言ったら、「 うん!数える~~♪ 」と無事に母を安心させてましたが。
有名な話で、1+2=3ってどういうこと?というのが有りますよね。
多くの人は、何か物質・・・たとえばリンゴなどを しめして
+
= 3 になるでしょ?的説明をするそうです。それを見て 「 でも、それは、
と
と
だよ? 」って言う子がいるという アレですね。リンゴという名称、カメという名称を 覚えた。
その知識を使って答えて、違ってると言われたら、混乱しますよねぇ。
私達は、「 これは、こうだから、こうなります。はい、やってみましょう。 」と
1から10まで教えられて、覚えて、その通りに当てはめてやることを 少なくても9年間は、やります。
だから、その習性がついてます。 そうやって当然 という観念が出来上がります。
更に「 違う! 」「 そうじゃない。 」「 間違ってる 」と言われちゃったりしてね。
覚えた知識を否定されたら、大人だって、面白くない。
だから、勉強はツマラナイ。という感覚を持つ人が多いのかもしれません。
覚えたことを前提として、次のことへ進む時、
「 今は、そうじゃなくて、こうしなさい。 」と言われてやるより、
「 それはそうだよね、じゃ~こうだとどうなるかな?やってみようか。 」
「 どうなるんだぁ? やってみる~w 」でやった方が、本人のやる気も成果も違ってくるわけです。
「 この本を読んで、感想文を書きましょう。 」って本を渡されるより
同じ本でも 偶然、目にとまって手にした方が 面白く感じる。
そんなもんです。(*´ー`) フッ・v
知識とは 与えられたものを受け取るより、自ら求めた時に知った方が、インパクトのある経験となり、
それを学ぶというのでしょうねぇ。
コヨーテの法則
2010/03/09 18:28:03
自らの答えに気づくように仕向けるという アメリカ・インディアン流の教え方です。
問いに対して、ストレートに教えるとは
「どうして、こうなんですか?」→「それは、こうだから、こうなんです。」って感じかな。
「そっか。」「なるほど」「そういうことか。」「そうすれば良いのか。」って納得できますよね。
ところが仏陀、キリストなどの教えとして書かれている書物を読むと・・・・
「 分かるよ~な、分んないよ~な~、な~んか、まどろっこしい 」←失礼を陳謝!
例えば、このブログでも昨年のクリスマスに書いた「ルカによる福音書」の話とかね。w
以前、紫藤は「 その人のその時の状況によって、感じる答え方が違うように書かれている。 」
と思ってました。
小説なども 以前に読んだ時と何年後かに読んだ時に感じることって違いますよね。
そういう意味あいも有るカモしれない。
でも最近は、
答えを聞いて、そうかと納得し、覚えても それが自分の学びになっているとは限らない。
確かに知識は得たかもしれないけど、自分のものとして浸透してないから使いこなせない。
だから「 答え 」を与えるのではなく、自分の答えを考え、見つけられるよう
身をもって学ぶことへと 導いている。と感じます。
アメリカ・インディアン、ミックマック族の長老の話です。
「わからないことは、そのままにしないで、どんどん尋ねなさい。」と言いながら
質問しても「 いまにわかる。 」「 体験の中で間違いを犯しながら学べば良い 」
などという答えしか くれない。
そして一見、質問とは関係のない状況の中、質問者の話しぶりや行動を通して、その理解力を見極め
程良い頃あいに 知りたがっていた答えをさり気なく示唆してくれる。
するとその人は、「あ!・・・」と学びの瞬間を 自ら迎える。
「 頭でなく、こころで学ぶのだ 」と長老に 頭をトントン♪ そして胸をトン!と軽く叩かれた アメリカのジャーナリストさんからの話です。
言葉や説明からの知識のままではなく、自分のこととして実際に体験し、得たことは
一言では説明できないほど、深い智恵となっているように思います。
そして、同じ問いへの 人それぞれの答えにも気づくと
「 どうしてこうなんですか? 」に対して、1つの答えをポンと返せるほうが不思議に感じる。
問いかけに与えられるのは、小さな「 種 」。
小さくて気付かないかもしれない。
「種」を答えだと思いこむかもしれない。
そして、今は理由が分らずとも 種を育てていく人も いる。
人の流れ
2010/03/08 18:23:15
転勤、進学、上京、帰郷など、仕事や学校の都合で住む場所が動くからね。
春に移動する人の退去希望をいち早くキャッチし、原状復帰リフォーム中から募集をかける!
それが出来るだけ空室を避けるための 管理法ですが、ま、何事も思うようには行かない。(笑)
初めて東京に来る賃貸契約者の方々は
「 人が多くて歩きずらいです。進むのが怖いくらいだし、時間がかかっちゃって・・・ 」
初めて東京にお子さんを一人で送り出す親ごさんからは
「 東京の一人暮らしは、悪い人に流されたり、危ないこととか・・・心配です。 」
というのが有ります。
東京に住んでる人だって、ほとんどの人が、人混みは好きではないと思いますよ。
人間は、ある一定のテリトリーが守られてないと不快指数が上がり、ストレスが生まれます。
満員電車が良い例で、他人と密着しすぎでテリトリーが無に近い! いやマイナス値だね!
確かに池袋、新宿、渋谷の地下通路や駅周辺って、イベント開催みたいな人混みってのも有りますw
でもね、上から見てみると ちゃ~~んと人の流れが出来ているんですよ。
渋谷の駅前交差点を テレビで少し上から映しているのをみると分りますよね。
地下道などには、電車の発着に合わせて、こういった人の流れが自然に出来ています。
誰かが、先導しているわけでもなく、こうしなさいというルールがあるわけでもない。
皆、同じ場所に向かっているわけでもないのに まるで道路を走る車のような流れが生まれています。
これは、“ 誰だって他の人とぶつかるのを 自然と避けようとしている ”から。
だから自分と同じ方向へ向かっている人の “ 後ろ ”を歩こうとするんです。
すると1つの小さな固まりができ、それが段々と統一された移動の流れを作ります。
これは、人間の行動パターンだそうです。
本日、この春に高校を卒業する沖縄からの方と契約成立~♪
私は「 流れに乗れば、なんて事ないですよ。^^ 」というような お話しします。
でも、ここで1つ注意!
あくまでも、「 流れに乗る 」のであって、「 流されない 」ようにね。
本来、行きたい処じゃない場所に 行っちゃっダメですよ。
これは、目的地にも、生活状況にも 言えることです。
以前に書いた『 群れる、群れない。 』のファッション程度なら良いけど、
自分の認識を 不本意に変えてしまうことが無いように 時々 立ち止まりましょう。
立ち止まっていると、後続の人がぶつかって来ることもあるでしょう。
それでも、「 あれ? 」と感じたら、一瞬!立ち止まって自分の目的を再確認です!
人とぶつかるのが嫌なら ちょっと端に寄ればよいこと。
【 ちょっと立ち止まって、自分を再確認 】\_(´∀`★)ハイ ココ大事ね。テストニデマスヨー
流れを見極めることに慣れたら、その内に 流れを横断することも 大したことでなくなります。(^-^ )
紫藤は結構、流れをヌイヌイと横に通り抜けること しばしば。y(^ヮ^)y ← 迷惑なヤツ(・_ .*)?
「 私はKYだって言われるし・・・・周りを見極めるなんて出来ない・・・ 」
人間には 本質的に 適応能力が有ります。
あなたをKYと言った人達に適応しなかっただけで、あなたの中にもちゃ~~んと能力は有ります。
だいじょうぶ です。(⌒ー⌒)
孟子の母は、孟子に良い環境を与えるために 3度引っ越しをしたと言われています。
それほど人は環境に適応するものなのです。 良きも悪しきもね。