頑張らなくていいよ~と言ってる自分は?
2010/05/24 17:34:34
その方は、いつも患者さんに「 頑張らなくていんだよ^^ 」と声をかけていたそうです。
でも、気づいた。・・・・と。
「頑張らなくていいよ」と言っている自分は、仕事に家庭にとメチャメチャ頑張っていて
疲れていたし、そんな自分が言っても患者さんに心レベルで伝わっていなかったのではと。
まず、自分が肩の力を抜いて、頑張らないけどベストを尽くすことから始めよう。
あくまでも私の記憶なので、多少~私の捉えかた&言葉が蛇足になってますので、
正確ではありません。 その場に居た方々、細かい部分、つっこまないでね~。
これも「 在り方 」ですよねぇ。
バリバリに頑張っている人に 頑張らなくていいと言われても 心からホッとは出来ないかも。
「 私も頑張ってたんだけど、もうやめたのよ。だってね・・・・・」と自分のことを語られても
これも「 はぁ・・・・・(⌒~⌒ι) 」みたいな?(笑)
語らずして、伝える。
みたいな その人の姿勢というか、生き方は表情や所作に表れるのでしょうね。
私の学び仲間では、よく「 ベストを尽くす 」という言葉を使います。
これは、「 人は常にその時々のベストを尽くしている。 」という考え方からきています。
結果はどうであれ、その時の精神状態、身体状態でのベストで、
決して悲痛なまでに頑張ることじゃないんですよね。
でも、この言葉さえも 頑張り屋さんからすると ベスト=最大限の力
となってしまうそうです。
頑張らなくて良いって、決して 努力をしないことでも、諦めることでもないし
ベストを尽くすって、持てる力を振り絞ることでもないんです。
・・・・・・・・・・・・振り絞ったら、その後はカラッカラになっちまいそう・・・・こわっ!
諦めず、希望を持って、努力し、今の自分の力を そのまま出す。
頑張らないって、日本人には結構難しいことなんですよね。
「 頑張れ!頑張れ! 」って育てられてきてるし(笑)
オリンピックも「 頑張れ!ニッポン! 」だし?
頑張り屋さん!
頑張るって悪いことじゃない。
でもね、少しでも良い結果を 少しでも素敵な思い出を 増やしたかったら
「 頑張れ 」と言われた時や 自分の中から聞こえた時 その意味を変換する癖を付けてはどうかな。
頑張れ!=力を抜け~ 今の自分を頑なに守れよ~ 自分に無理させないよう頑固になれ~(*´ー`)
と言われているんだ。みたいな。 y(^ヮ^)y まぁ、自分なりの解釈で。
だって、頑張り屋さんは、もう~充分に頑張っているんだから、そのままでいいんです。
それ以上でも、それ以下でもなく、そのままの貴方が「ベスト」であり、最上級です。
「 頑張れ 」の言葉に拘らない、プレッシャーにしない人が 一人づつ増えたら
言葉の意味自体も 変わっていって、押しつぶされて苦しむ人も減っていくかもしれませんね。
先日書いた「 言葉の意味 」 の 「 情けは人のためならず 」
みたいに 一般常識自体が変わっていくことも可能かもしれません。
これも まずは、自分の中から・・・・・・ですねぇ。o(^-^)o
研修より帰宅
2010/05/23 09:10:59
そして、今回も・・・・・・。
自分のことで精いっぱいだったのが、周りの様々な何かに 良い形で気づけるようになりました。
とは言え、参加者何十人という中で、関われたのは半分も居なかったかも。
そして、私への総評とアドバイスの中にも そのポイントは入ってましたねぇ。
「 もっと全体を見据えた 在り方 」
そう・・・・・まだまだ自分自身に取り組むことだけに目が向いていたののかもしれない。
自分自身に取り組むことで、全体にも有効になる その姿勢というか・・・・
キーワードは、「 在り方 」ですねぇ。
分かりやすい例をとると 醸し出す雰囲気でしょうか。
例えば、乗り物に乗って、座る時、
モバイルなどカチカチと操作しながら、いかにもバリバリ系の人が真剣な・・・
ちょっと険しい顔で座っている人と
ゆったりとリラックスして座っている人、見ようによっては、ほんの少し微笑んでいるような人。
ただ「座る」というだけの欲求を満たすなら、どちらに座っても同じことだけど、
なぜか、後者の人の隣を選びたくなる。
それが「 在り方 」かな。と学びました。
泣いている人を見ると悲しくなります。
政治批判を聞いて、ゆったりとした気分になるのは難しいです。
幸せじゃない人が 誰かを幸せにしようとしても 無理があります。
「 在り方 」は学んで習得できるものではないし、やろうと思って出来るものでもない。
表面上のパフォーマンスなど、人は言葉ではなく感じとれるから。
何よりも、どんなに成りきっても 自分自身が見せかけだけだと分かっているから。
聖人に成ることも、全てを悟ることも出来なくて良いし、悩みや辛さは時折、訪れます。
それでも自分自身の問題を 深刻にならず好奇心を持って向かい合いながら、周りにも良い何かを感じられる空間を持つことは可能じゃないかな。
自分なりに 自分のペースで、今、目の前にあることを良いと思う方法で行なっていくうちに
私の中の樹木も いつか 誰かがここでホッとしたいなぁ~と思える大樹になれるよう
自分を信頼し、自分と向き合い、自分を良い状態で満たしていくことを忘れずに過ごしたい。
そう思える6日間でした。(^-^ )
今回は、最終夜に沢山の感動を 頂きました。
もう、何度も参加しているのに、感動の涙が何度も出たのって初めてだね。ww
今までも素晴らしい参加者の方々がいらしたのだろうに・・・・・・
今まで断片的にしか見て無かったのかもしれない。
共に過ごす6日間を通して自分と、そして相手とも向き合う・・・・
私はそこまで気が付かなかったのでしょうねぇ。
ほんの少し、そんな風に周りの人達に寄り添えるようになったのかもしれません。
明日より、6日間研修!
2010/05/16 07:12:46
サイモントン療法の6日間プログラムに参加してきます。
月1ペースの5か月間プログラムとは、また違った良さがあるのです。
6日間、泊まり込みで癌患者さんやそのご家族、そして私たちインターンが共に学びます。
今回から、サイモントン療法を学んできた者として、どの位自分自身に浸透させているのか
その辺りをみて頂き、今後のアドバイスをして頂くことにしました。
この2週間は、過去のメモ整理、書籍の読み直し、録音の聞き直しと
ほとんどサイモントン理念漬けでした。(笑)
既に我が身に浸透している部分と、新たな気づき、忘れていたことなど
手が浮腫むほど、「 樹 脳 途 ( ITUKI's Note )」を書き直した。ww
・・・・・・いやぁ~~~、パソコン変換病といいますか、
手書きすると、如何に漢字の細かい部分を忘れているかが白日のもとにさらされた~。
「 あれ? これでいいんだっけか? な~んか違うような~ 」と辞書で確認すること しばしば。ww
でも、手で書く。書き写す。って、パソとは違った作業ができると再確認。
パソで文章を打つときって、文章を見ながら、同時に指を動かしているわけで、読むのは1度。
打った文字列の誤字脱字校正で2度目。 2度とも「 読んでるだけ 」
手書きだと、文節までを覚えて、目線は白紙へ、そして思いだして書いている。
この時点で、「 覚えて、思いだす 」という作業をしているんですよね~。
更に鉛筆部分の訂正は出来ても、ボールペンで書いたところが間違うと・・・・
そのページは頭から書き直し!
だってだって、項目ごとに それぞれの色付きのリフィルを使っているので、ホワイトが使えないのぉ。
そこだけ、ラインマーカーしたみたいに なっちゃうでしょ?大事なトコでもないのに。
サイモントン療法は、覚えればOKでは、ありません。
全てを自分のこととして、実践していくわけで、自分の問題に取り組むことが重要。
そして、私の中の問題は・・・・・長年持ち続けている母との関係。
かなり、落ち着き良い方向へ向かってますけどね~素敵な関係とは、まだ言えない。←
この1年だと、自分の持病の痛みとその意味。
これは、親や当時の実家の状態にも関連しているかもしれませんねぇ。
そして、最近だと・・・・・やはり、被害者としての犯罪だね。
まぁ~見事に私以外の家族は、全員巻き込まれてくれました。(笑)
4月8日から始まって、4月末までの間に次々と、警察のお世話に。
いずれも被害者として、取り返しのつかないような状態では無いし、乗り越えられる範囲で
更に今後の人生への学びに繋げられると信頼できるので、本当にラッキーだと感じました。
ただねぇ・・・・何故、私以外?
というのが、少々、気になってはおります。
それぞれの人生の学びとして、必要なことが起こった。としてですよ、
「 私の学びの為に? 私のせいで引き寄せた? 」という勝手な自責の念や
「 替われるものなら替わりたい。自分のことなら、もっと楽なのに。 」という
現実逃避?自己犠牲的精神、が強く出てはきました。
勿論これは、事実ではないし、こんな考えは良い事は何も生みださないので、ちゃんと書き直しましたけどね。 家族が重篤な病や犯罪に巻き込まれた方々の苦しみや痛み・・・・
軽度ではありますが、体験した思いです。
私には?・・・・・やはり、この出来事達の中「 忍耐、信頼、平静、愛 」が学びでしょうか。
確かに 深く感じいり、将来の起こってもいないことへの不安など、整理は出来ました。
ですが、小さな炎が心の底に メラメラと燃えているのも感じます。
それは、やはり赤の他人を巻き込む犯罪を犯した人間への恨み、理不尽さ・・・かな。
彼らには 彼らの問題があり、行動した結果ではあり、それは私達の問題ではない。
そうは思えるのですが、「 許す 」という部分については、やはり難しいです。
そして、逆恨みなどしないと「 信頼 」することも困難なのです。
この炎は、「 許し、信頼 」しなくても消せるものなのだろうか。
さぁ、今回の参加では、どの問題に取り組みましょう。
ま、行ってから強く浮かび上がってくる思いの中、その信念を探れば良いのですけど。
・・・・・・・・根本にある 信念・・・・同一だったりして。