批判
2011/01/22 18:03:14
「 やった~ライバルが、減った♪ 」と喜べる人は少ないんじゃないかな。
自分の信頼するものに そんなもの的なケチをつけられたら やはり嫌な気分になるでしょう。
中には「 こいつは、ホント分ってねぇ~な~ 」と笑ってすませられる人もいるかもしれないけど。
さて、自分に対する評価は如何でしょう?
評価までいかなくても、例えば10人で一緒にいて、楽しく過ごしたいと思っている時。
あなたが笑っちゃうようなことを言って、8人が一緒に笑ったけど、2人は笑わなかった。
ちょっと褒めてほしいな~と思うようなことを謙遜ぎみに言ってみて、9人が感心したり褒めてくれたけど、1人はノーコメントだった。
するとこの1人や2人が、みょう~に気になってしまい、「 面白くなかったんじゃないか 」「 所詮、わたしなんか、褒めるに値しないよねぇ 」な~んて思っちゃったことありませんか?
もちろん、私も良くありました。
というか、誰も何も言ってないのに、自分で自分を過小評価する日々もあったし。
今でも、批判されれば、嬉しv楽し♪という気持ちにはなりませんよ。
でも、こういった事柄が、気にならなくなる、いつまでも良くない気分に捉われない、自分や自分の好きな物をツマナラいものとは思わなくなりました。
「 他者からの評価というのは、その人の“好み”や“都合”から出てくるもので
そのものの“価値”とは、違います。 」
私達は、批判を受けたり、低い評価を受けたりすると ムっとしたり、いかに素晴らしいのかを理解させようとしたり、あげくには「それが分らないアイツはダメだ」で終止符をうつしかなくなったり。
この流れでは、自分の気持ちを 良い状態にするのは難しい。
自分の感情くらい、自分で責任持つために 批判をどう捉えたらいいか。
批判する者の立場に立ってみる。
たとえ口には出さなくても、自分だって自分の好みに合うものは、良い評価をしているし、それを認めると都合が悪いものは、採用しません。
ようするに 好きなものは好き だけど、嫌いなパターンは好きにはなれない。
これ、自然です。
どんなに世界的に人気のある人でも、偉人でも、全ての人に好かれるのは無理。
頭では分っていても、実際に自分へ向けられると この当たり前の構図は吹っ飛んでしまう。
他者の評価に 惑わされ、翻弄され、好きだったもの輝いていたはずのものが色あせてしまう。
そんなことのないように 評価とは人の好みや都合に添っているだけ、その人の好みや思考を知る
1つの手掛かりにはなるけど、そのものの正当な価値とは別のもの。
とシッカリ胸と頭に刻み込んでおきましょう。
ある漫画家に聞きました。
ネットは匿名性が拍車をかけ、責任感のない、発信しっぱなしの批判がはびこっていて、読んで凹み、また読んでは落ち込む漫画家さんが居るけど、あなたはどうですか~?って。
すると
「 批判も出ないよりは、ずっとマシだし、参考になる批判もあるよ~ 」って。
「 愛の反対は、憎しみではなく無関心です 」というマザー・テレサの有名な言葉が在ります。
書籍レビューでも、わざわざ買う、わざわざ公的な場に感想を書く、という時点でその人は、そのものになんらかの魅力を感じているということにもなるんでしょうね。
少なくとも、眼中にないわけではなく、気にはなっているから行動しているんでしょうねぇ。