頑張れ に負けないで
2011/01/23 18:13:16
私もそうでしたから、よ~く分ります。(笑)→ こんな感じ
この言葉に関して、自分なりに色々思考錯誤して、ん十年!→ こんなコトとか
こんなコトも あんなコトも 去年の夏にはこんな風に・・・。
今でも、「 頑張る 」という言葉を聞くと、眉間に皺を寄せ、両手で拳を握り、思いっきり力が入った鬼のような顔をしている母親が「頑張りなさい」という言っている画像が浮かびます。( ^∇^ )
以前は、ものすご~い嫌悪感や辛さで、思い出したくもなかったけど、今は、そんなこともなくなりました。
母親の期待に 応えられたこともあり、応えられなかったこともあり、その都度の母親の態度の違いに「 私は、不肖の子 」と自分で自分にレッテルを貼ってました。
でも、今は、そう思わなくなったんです。
「 頑張れ 」は、相手に何をしてあげたら良いか分らないし、具体的なアドバイスも出来ない、そしてベストが出るような声掛けも思いつかない時には、とても通常的で便利な言葉。
でもその中には、「 その人が 良い結果を迎えられますように 」という祈りが入っているんだなぁ。って思えるようになりました。
その思いの重さは、それぞれ違うし、なぜ祈ってくれるのか、それは自分の思い通りの結果が欲しい事情があるのか、それとも私の幸せを願ってくれているのか、それとも何でそう言ったのか本人も分ってないとか。y(^ヮ^)y
まぁ~様々なんじゃないかな。
どんな理由であろうと、自分の良い結果を 望んでくれている。
「 頑張れ 」の中には、少なからず 「 祈り 」が入っている。
その祈りが、欲しい力であろうと なかろうと 与えられてはいる。
受け取るか、受け取らないかは、自由。
全てを 力いっぱい受け止めて、「 これ以上どうしろと? 」と押しつぶされていたのは、自分の受け取り方に負けていたのかもしれない。
「 やらねば 」「 出来なくては 」と思いこんでいた自分に 追い詰められていた。
受験間近ですね。
就職は決まったでしょうか。
小さなお子さんを抱えて自由を奪われたような気になっているお母さんもいらっしゃることでしょう。
浴びるように「 頑張ってね 」を聞き続けていることと思います。
その時の自分の心身の状態にあわせて、「 頑張って 」の中のエールと祈りを ほど良く調整して受け取ってくださいませ。
上にもリンクしましたが、『 頑張る・・・ガンバル・・・顔晴る 』という記事に本来の意味と思われることを 書いています。
現代、思われている意味合いとは、結構違うんですよね。
文字表現に 拘ることよりも、まず 自分に合った意味合いに脳内変換し、必要な重さだけ受け取る。
自分のプラスに出来るのは、自分だけだから。
何でもカンでも 頑張らなくていい。
「 ここぞ! 」と思う時だけ、めげないで、怠らないで、ちょっと踏ん張ってみよう。
そんな意味を込めて、私は 「 頑張れ 」と祈ります。