セラピーとはなんなのか。
2010/09/09 19:54:25
「 癒す 」という言葉はあったけれど、それを名詞として使われるようになったのは、ごく最近のこと。
今の辞典は知らないけど、ちょっと前の辞典には掲載されてない。
一応、私もセラピーをします。
ですが、その方法は、個人から個人へとなります。
セラピーを不特定多数に行なうとしたら、例えば、歌。
発信という手法を 受けた人がそれぞれに応じて受けとめて、発信者の意図とは関係なく「 癒される~ 」となります。
ただ、そこには、発信者のメッセージ性がありますよね。
絵、漫画や小説などストーリー、映画など芝居の所作や台詞や演出。
並べてみると創作物、メッセージ性のあることが主軸となる作品のように思います。
スピリチュアルや心理学でのセラピーも同じなんだろうか・・・・。
そこに自分の中から発信されるメッセージがあるとは感じない。
あくまでも、その人の中のあるものを引き出し、自分で自分を癒すお手伝いをする。
それは、セラピストからのメッセージではなく、自分の中にあるメッセージに気づくお手伝い。
そう思っています。
その対象が複数の場合って、どこまで可能なのかなぁ。
初回面談もなく、いきなりセラピーを始めるとしたら、
多くの人が持っているであろう不健全な信念に関して話すのが無難かもしれない。
でも、不健全信念を持っていること自体が悪いことではないと思うのです。
全く持っていない、全く出てこない、= 不快に思うことは、日々全くない。
日々、全てが心地よいことが持続している?
感覚の抗体、慣れ、という部分はどうなっているのでしょう。
この「慣れ」という機能も生きていく上で、大切な機能ですが、良い状態にも作用してしまう。
よって、「 もっと、もっと 」もしくは、「 当たり前 」「 もう嬉しくない 」
という感覚になっても自然なこと。
そして、誰の中にもある不健全信念を一掃する必要もないし、それは無理かと。
ポイントは、その信念があることで、日々が苦しい、辛いかどうかじゃないのかな。
だとしたら、ほじくり返すようなことは、余計なことかと。
いずれは、手放す必要のなる信念でも、その時期じゃない時につっつくこともない。
全く話もしたことがない相手、特に辛く思うことがない相手に対してできるセラピーって、一般的な軽い部分になるのかな。
個人セッションへの導入としては、アリかもしれないけど、なんかなぁ。
ん~~~、なんか複数対応って、私には合ってない方法なのかもねぇ。
『 あなたをずっとずっとあいしてる 』
2010/09/08 19:53:09

ポプラ社 (2006/01) 40ページ 商品寸法: 26 x 21.2 x 1.6 cm
心優しいマイアサウラのおかあさんは、
あるひ、たまごをひとつひろいました。
じぶんのたまごといっしょに、たいせつにそだてていると、
生まれてきたのは…。
マイアサウラとして育てられたティラノサウルスの子・ハートは、ある日恐ろしいティラノサウルスに出会います。自分もティラノサウルスだと知ってしまったハートは…。
大人気のティラノサウルスシリーズ第4弾。
宮西 達也
1956年、静岡県生まれ。日本大学芸術学部美術学科卒業。
作品に、『 おまえうまそうだな 』(けんぶち絵本の里大賞)『 おとうさんはウルトラマン 』(けんぶち絵本の里大賞・びばからす賞)『 帰ってきたおとうさんはウルトラマン 』『 パパはウルトラセブン 』(ともにけんぶち絵本の里大賞)『 うんこ 』(けんぶち絵本の里大賞・びばからす賞)『 大きな絵本にゃーご 』(第38回造本装幀コンクール展読書推進運動協議会賞)『 きょうはなんてうんがいいんだろう 』(講談社出版文化賞・絵本賞)など多数ある。
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
* * * * * * * * * * * * * * * * * * 以上 amazon 商品説明 から * * * * *
先日、飲み会にて、絵本セラピスト仲間がくれた絵本です。(笑)
いえ、正確に言うと、くれた絵本の中の一冊です。(爆!
彼は酔うと、持っている絵本を「 これ、あげる 」といつもくれます。
この絵本、表面上は、「 母親の子供に対する愛情 」のように読み取れるかもしれません。
でも、ここで、ひとつ気づきませんか?
母親は、自分の子でないことを知っています。
同じようなテーマを扱った作品に“ ひろすけ童話 ”の「 よぶこどり 」というのがあります。
りすが卵を拾い、生まれた鳥のヒナを愛しみます。
朝、鶏がコケ・コ(カ)ッコーと元気に泣く声を聞いて、その子を「 カッコー」と名付けます。
この本の中でも、近所(?)の人が、「 お前は、拾われた卵から生まれたんだよ。 」と
子に教え、子は困惑します。
そしてカッコーもハートと同じように、ある日、姿を消して二度と戻りません。
りすは、何年も何年もカッコーの帰りを待ち、待ちわびて、やがてその姿は鳥へと変わり
「 カッコー、カッコー 」と子を呼びながら空へ羽ばたきます。
子供を産めば、母親になり、子を愛せる。 とは限りません。
逆に自分が産んだ子でなくても、縁が繋がり愛おしんで育てると母となれます。
大切なのは、「 産んであげた 」ではなく、共に生き、出逢えたことは、有り難いこと
と気づくことではないかな。
これからは、色んな状況から出産が難しい人達が増えていくことでしょう。
親と子の出逢いは、親を育てるために子が来てくれるのだと 私は感じるのです。
何が何でも自分達の遺伝子・・・・この感覚は生物として自然かもしれないけど
次世代を任せる人間を残すことを考えると 本当に重要なことは、他にもあるのではないでしょうか。
『 花をかう日 』
2010/09/07 20:32:39

ポプラ社 (1999/06) 47ページ 商品寸法: 23.8 x 18 x 1.4 cm
目の見えなくなったおねえちゃんの誕生日に、
まこは、いいにおいの花束をあげたいと思いました。
障害をもつ姉との心の交流を描く。
おととしの春、病気にかかり目が見えなくなったユミねえちゃんは、沈んでいたけれど、盲導犬のシェピィが来て、だんだん元気になってきた。
ユミねえちゃんの誕生日に、まこはいい匂いの花をプレゼントしようと…。心の贈り物。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * 以上 amazon 商品説明 から * * * * *
妹のまこちゃんは、おねえちゃんが病院から帰ってきた日、目が見えなくなったおねえちゃんの前で、大声で泣き続けてしまった。
ひどいことをした・・・・そんなひどいことをしたってこと、おばあさんになるまで忘れないからね。
そう、まこちゃんは、思う。
果たして、ひどいことだったんだろうか。
泣いているまこちゃんの前のおねえちゃんの表情は、描かれていないけど
泣けないくらい辛い時に、誰かが、何も言わずに思いっきり泣いてくれる。
感情を抑え込んでいる時に、解放する手助けになったかもしれない。
その後、おねぇちゃんは、夜がこわい、朝がこわい、風の音も、雨の音も、足音も
はなし声も、笑い声も こわいと泣くようになる。
盲導犬が来てから、少しずつ変わっていく様も 大げさでなくゆっくりとした速度で書かれています。
ガンで片足を切除した私の叔母と電話で話していた時、「 電車に乗ったんだよ~! 」
と嬉しそうに話してくれた時、まだ若かった私は、「ふ~~ん」とあまり驚かなかった。
その反応にひどくガッカリした叔母から、片足で出歩く苦労と他者にかける負担、
それが気になって能動的になれないことを聞いて、初めて、「 あ! 」と気づかされました。
障害によって、どんな思いをしているのか、こまごまとした事は気がつかないものかもしれない。
それは、悪いことではないとも思う。
教えてもらい、気づくことはできるし、同じ障害でも苦痛に感じていることは違うかもしれないのだから、勝手な思い込みで決めつけるよりは良いのかもしれない。
分った気になって、先回りするより、その人の気持ちを聞くことが大切なのではないかな。