- 2024/04/26 [PR]
- 2011/03/06 自分の望み と 相手の望み
- 2011/03/05 心配は、自分の中の未来に対する不安
- 2011/03/04 心配・不安・望み通りに
自分の望み と 相手の望み
2011/03/06 21:07:28
自分がしようとしている言動は、相手が望んだことなのか、
それとも自分が、こうした方がいい、きっとこうしたいと思っているに違いない、
と相手に聞いたわけでもないのに、思いこんでいることなのか。
これをきちんと区別しておかないと、後で「 してあげたのに 」とか
相手のリアクションが、自分の想像していたのとは違うことに 腹がたったり、ガッカリしたり。
「 あの人のためだから、自分はどうでもいい 」なんて犠牲的精神でやっていると
相手には、重荷になってしまったり・・・・。
あげくに自分自身も疲れて、イライラしたり。
大切なのは、
勝手な思い込みではなく、ちゃんと相手にどうしたいのか、訊ねること。
出したい結果は、自分の望んだ形ではなく、相手の望むこと。
それが、たとえ自分の望みとはかけ離れていても。
そうじゃないと、サポートではなく、コントロールになってしまうから。
相手を自分の思う通りの結果へ 導くことに成功しても、それは表面上であることが多く、
心までは、コントロールできません。
パワーハラスメント・モラルハラスメントなど その最たるものですよね。
では、自分が良いと思う意見は 言ってはいけないのか、力になれそうにないことを断ってはいけないのか。
もちろん、言ってもいいし、断ってもいいんです。
ただ、モノには言い方があります。
聞いてもらえる言い方と、拒絶される言い方。
これは、以前にも書きましたねぇ・・・・。
有った♪ 「 コミュニケーションの心得 」← ご興味のある方はどうぞ。
更に細かい より良いコミュニケーション法 というのもあるけど、とてもブログに纏めきれない。
「 コミュニケーションの心得 」だけでも、やってみると難しさが分ります。
普段の会話とは、根本的に違うので。
サポートとは、支えること。
あくまでも、相手の中にある力で立ち、進んでいけるよう 今だけ必要とされた部分のみ力を貸す。
その中には、「 何もしない 」「 見守る 」ということもあるわけで
これは、何かをしてあげるより、難しく、自分との戦い。
その基は、相手の中に秘めた力を 本気でどれだけ信頼できているか。
結局、自分が試される。
心配は、自分の中の未来に対する不安
2011/03/05 19:46:35
過去の経験、知識から不安要素を検索して確信となります。
「 だって、この間だってそうだった。 」
「 こんなことしていると、こうなるって常識だよ。 」とか。
自分の中に生まれた不安を和らげると・・・・心配も和らぎます。
では、不安は、どう和らげ、解消に向かえるのか。
「 それは、事実ですか? 」「 その考えを持っていたいですか? 」
「 そう思っていることが、幸せになるために効果的ですか? 」
これらの質問を自分で自分にしてみる。
大抵、答えはNO!になるかと思います。
もしYESなら・・・特に2番目3番目がYESなら、人から不幸に見えてもその人は不幸ではないですよね。
もしNOであるなら、「この不安をなくさなければならない。」という考えは、
持たなくて良いとまず自分を許してあげましょう。
持っても良い、感じても良いと不安とじっくり向き合ってみる。
どん底に落ちそうで怖い時は、信頼のおける友人やカウンセラーなど専門家の手助けを求めましょう。
でも、大丈夫です。
事実ではなく、持っていたくはなく、幸せになるためには不要な考えだとちゃんと自分で確認したんですから。
不安な自分に蓋をするより、不安がっている自分に確認済みの自分が共感し癒してあげてから、次のステップへ。
そして、違う見方はないかな。違う捉え方は?他の未来は無いんだろうか。
そんなことを色々考えてみる。
自分の考えに 最もしっくりくるパターンが見つかったら、それを発展させてみる。
これも上手く出来なかったら、他の人の意見を聞いてみる。専門家に手助けを求める。
こうやって、不安を1つ1つ、和らげていくと、自分の思考パターンの癖、信念が段々と見えてきます。
「 人を助けたい 」という気もちは、
まず、不安で怖がっている自分を助けるところへの導火線となっていきます。
心配・不安・望み通りに
2011/03/04 17:01:17
話を聞いて、力になれることなら「協力」することもあるでしょう。
ちょっとした助けあいは、素敵な行為ですよね。
大きな困難、苦痛のまっただ中に居ると知った時、目の前で泣かれた時、だれしもが、「 なんとかしてあげたい 」と思うのではないでしょうか。
それが自分の好きな人、大切な人ならなおさらのこと。
ちょっとした助けあい・・・たとえば、一緒に探してあげるとか、道を教えてあげるとかとは、全然違う心の揺れを感じることでしょう。
苦痛を訴えて泣くという以外にも、自分からみて、「 このままでは、ダメだ。 」
「 そんなことじゃ、この先やばいだろ~ 」と思える時、今!なんとか気づかせてあげたい。
そんな感情が湧きあがることもあるかもしれません。
これらの気持ちって、なぜ湧きあがるのでしょう。
その時々、その人によって、多少の違いはありますが、多くの場合、
「 自分の 好ましい 状況ではない から この状況を 改善したい 」
という感情があるのではないでしょうか。
それが、自分のことでなくても、見聞きしたくないという感情。
分りやすく言うと「 自分の好きな人は、いつも笑顔でいて欲しい 」。
光と闇、寒さと温かさ、苦しみと喜び、マイナスと思える事柄が全くなかったら、プラスは感じない。
それは理解できても、何とかしてマイナスを排除して、プラスだけにしたいと望んでしまう。
多くの人が持つ、自然な感情だと思います。
なぜ「 マイナス 」だと感じているのでしょう。
「 ことがら 」自体に善悪はありません。 善悪とは、ヒトが作る観念。
ヒトの社会にしか善悪は有りません。
そして、それを体験するその人によって、感じ方は違います。
自分はマイナスと感じていても、当の本人は、特に感じていないかもしれない。
マイナスと感じる気もちを表現すると 「 心配 」。
何が心配? 「 良い結果にならない。 間違っているから。 」
良い結果・正しいことって何? 「 笑顔になれる望み通りの結果 」
望み通りにならなかったら、どうなる? 「 悲しい、不幸、辛い 」
必ずそうなる? 「 必ずじゃないけど、可能性は高いと思うし、不安 」
以上は、1つのパターンですので、その人によって、多少違っては来ると思います。
誰かを心配する。 何かを心配する。
この心配は、望みどおりの結果を得られないかもしれないという未来への不安。
「 このままでは、悪いことが起こるのではないか。 」みたいな・・・・。
人の力になりたい。 助けたい。
そう思った時、なぜ、自分はその人に対して、そう思うのかを 一呼吸分だけでも冷静に見つめてみると、先走りでポイントのずれたサポートをしないで済むことが出来るのではないかな。