言葉の意味
2010/04/09 22:05:57
『 情けは人のためにかけるのではなく、めぐり巡って自分や自分の大切な人へ返ってくる。
だから、人には優しくしましょうね。 』
という意味だったはずですが、最近は、
『 情けをかけるのは、その人の為にならない。 』と思っている人が多いのは知ってましたが
多くの人が、そう感じているのだから、そういう意味にしましょう。という動きがあるらしい。
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そういうものなのか??
「 自信 」も『 自分の価値や能力を信じること 』 すなわち、自分を信じる。
という意味だけど、多くの場合は、「 出来るか、出来ないか 」の自己予想に使われる。
ネットでも多く議論されている「 頑張る 」は、当ブログでも以前とりあげたけど、
本来の意味と 日常で人々が受け取る意味合いは、大きく違ってきている。
古語をみれば、現在と同じ「 音 」でも違う意味の言葉は多々あるわけで
言葉の意味が、変わっていくのは、自然なことかもしれないけど、その狭間に生きる人達は
伝えたい想いが どんどん かみ合わなくなってきてしまうね。
これは、進化? 単なる変化?
間違った意味を 正しく訂正して広めるより、間違いに合わせちゃう・・・のか?
旧約聖書では、人々が「 我々も神に届く高い塔を建てよう 」と皆で協力し、バベルの塔を建てよう
としたことに神が怒り、作業を続けられないように 人々に別々の言語を与えた。
とかいう話がありましたよねぇ・・・・・
言葉とは、意思の疎通を妨げる為に作られた道具・・・・なのだろうか。
花祭り
2010/04/08 21:02:52
私の小学校は、大乗仏教だったので、4月8日は、「花まつり」として 釈迦誕生のアニメ映画をみて、お話しを聞き、全校生徒が、2~3人づつ花御堂(はなみどう)[ 写真左 ] の中の灌仏桶(かんぶつおけ)[ 写真右 ]の中の釈迦像に甘茶をかけてお祝いしてました。
本日、たまたま護国寺の前を 通りかかり、桜でも見てこうかな~と入ったら、花御堂があり、懐かしく思いました。(写真は護国寺のものです。)
アニメ映画は、釈迦族の王の妻マーヤーの右脇から生まれ、7歩歩いて右手で天、左手で地を指し
「 天上天下唯我独尊 」と言ったという あの有名なシーンです。ww
学校では、お釈迦さまは、天上においても、この地上においても 最も尊ばれる唯一の方だ。
と教わったように記憶してます。
が、広い意味では、
この世に生まれた「 我 」という存在は、唯一であり、そのことは最も尊いことだ。
というような解釈もされています。
釈迦も、私たちも 同じ唯一の存在で、自分にとって最も尊いのは 自分の存在だ。
ということで、いいんじゃないかな (⌒ー⌒)
『 ディア・ドクター 』
2010/04/07 22:07:47

原作・脚本・監督: 西川美和
出演: 笑福亭鶴瓶, 瑛太, 余貴美子, 香川照之, 八千草薫
「 その嘘は、罪ですか 」
数々の映画賞を受賞した 西川監督作品
山あいの小さな村。唯一の医師として人々から慕われていたひとりの医師が失踪した。
警察がやってきて捜査が始まるが、驚いたことに村人は、自分たちが唯一の医者として慕ってきた
その男について、はっきりした素性を何一つ知らなかった。
やがて経歴はおろか出身地さえ曖昧なその医師、伊野の不可解な行動が浮かびあがってくる――。
遡ること二か月。
東京の医大を卒業した相馬は、研修医としてその村に赴任してきた。
コンビニ一つなく、住民の半分は高齢者という過疎の地。
そこで相馬は、伊野という腰の据わった勤務医と出会う。
日々の診察、薬の処方からボランティアの訪問健康診断まで。
村でただ一人の医者として、彼はすべてを一手に引き受けていた。
診療所に住み込み、急患が出れば真夜中でも飛んでくる伊野のことを、村人は「神さま仏さま」よりも頼りにしている。
僻地の厳しい現実に最初は戸惑っていた相馬も、村中から親しげに「先生」と呼びかけられる伊野の献身的な働きぶりに共感を覚えるようになっていく。
ある日、かづ子という一人暮らしの未亡人が倒れた。
彼女は、自分の体がもう大分良くないことに気づいている。
「先生、一緒に嘘、ついてくださいよ」。
やがて伊野が、かづ子の嘘を引き受けたとき、伊野自身が、ひた隠しにしてきた
ある嘘も浮かび上がってくる。
ずっと言うことができずにいた 一つの嘘が――。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * 以上 amazon 商品説明 から * * * * *
「 ゆれる 」に続いて、西川監督作品です。
いや~、この人の脚本、監督、好みです。ww
西川作品、役者の演技力というか、役者の持ち味を 凄く良い感じに出してるな~と思います。
笑福亭鶴瓶の あの笑顔! そしていざという時の躊躇と村にとっての自分を語る演技。
嘘に気づきながらも伊野を支える元:救急の看護師、余貴美子の演技。
彼女は、「おくりびと」でも 独特ないい演技してましたね~。好きです。w
「ゆれる」の兄役とは、全く違う人間像を見せてくれた香川照之さんも 上手いな~。
ラストシーンは、セリフ以外の空間が作られていて、素敵でした。
「ゆれる」もそうですが、ラストシーンは終わりではなく、その後を観てる人に作らせてくれる。
想像力を 掻き立てられる そんなシーンで映画自体に膨らみを持たせている。
「 そっから先は、それぞれのストーリーを・・・・ 」って感じかな。w
でも、1番心に残ったシーンは・・・・
香川照之さん演じる医薬品卸売業の斎門が、刑事さんに伊野に関する事情聴取を受けているシーン。
刑事「 先生呼ばわりされて、拝み倒されるってそんなにいいもんか。
それとも結局、金にいったかな? 」
斎門「 いや~それは・・・・どちらも・・・たぶん 」
刑事「 じゃ~~~なんですか? やっぱ“ 愛 ”ですか? 」
斎門「 ・・・・・・・・・・・ 」
斎門は、イスに座ったまま、イスごとふぅ~っと後ろへ倒れる。
横に居た刑事は、あわてて支え、助けようとする。
刑事「 どうしたの! 」
斎門「 刑事さん、今のは“ 愛 ”ですか?
愛してるわけないですよね、私のことなんか。
それでも、今、この手が出たでしょ。
なんか・・・だから、そういう感じじゃないですか、たぶん。 」